あとは、「このラストシーンのあとに続きの文章を想像して書いてください」みたいな課題も読みを深める方法として使われるか。
本人の信じ込んでる読みを外側から変えるの難しいし、やるならそうやって内側から自分で考えさせる方が良い読みに繋がるんだろうな。
「ごんぎつねが死んでない」解釈を主張する子供もいて、その気持ちは分かるしある種の読みだけど、それはラストシーンの解釈を深めるにあたり横道に逸れるから、あえて話し込んだりしなかったという先生の話もある。
そういえば、「作者は何を考えていたでしょう?」「締め切りが迫っててどうしようって考えてた」
的な読み方が正しい解釈である珍しい事例、これかも><;
前にテレビ番組で作詞した本人が説明してた><;
SMAP 夜空ノムコウ 歌詞 - 歌ネット https://www.uta-net.com/song/10065/
なので、オレンジは直筆原稿にもリンクはってた><
https://mstdn.nere9.help/@orange_in_space/108752003377411350
ごんぎつねの教科書掲載の意図も含めて考えた場合に、もし因果応報説を採るのであれば、小学生に「やったぞ! ついに狐を撃ち殺したぞ! やったぜ兵十! 人間様が持つ銃こそが正義の鉄槌を下すのだ!」って思ってほしいのかもともならなくなりそうだしUSAの主に南部っぽさ><(?)
映画で言うとこれ><(?)
エンド・オブ・キングダム - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%80%E3%83%A0
解釈に幅があることは多様性だけど、矛盾がある解釈を複数の正しい意見のひとつにしてしまうと、何らかの誤りがあった時にそれを見つけ出す力が失われるし、その誤りは単にその特定の文書でのですめばいいけどそんなことはなく、何らかの文からの解釈から別の何らかの決断に繋がり、それは時に誰かに損害を与えることにも繋がるので、「それぞれ」のなかにも「それぞれとしても、それぞれの範囲の中で誤りはないか?」という視点が大切なんだよ><
今日の話の発端の「古典を教えるべきか?」も、肯定否定それぞれだけど、根拠に誤りがある主張は「それぞれ」ではなく誤った主張だよ><
それまで「それぞれ」にしてしまうと誤った主張に沿った誤った道に進むことを止める力が失われるよ><
新美南吉 ごん狐 https://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/628_14895.html
"...「おや」と兵十は、びっくりしてごんに目を落しました。
「ごん、お前まいだったのか。いつも栗をくれたのは」
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
兵十は火縄銃をばたりと、とり落しました。青い煙が、まだ筒口つつぐちから細く出ていました。"
で終わってるので、もし因果応報説をとるならたとえば追加で
「しかしな、人間の命は栗ごときでうめあわせられるようなものではないのだ。思い知ったか畜生め。ついに敵をとったぞ」
って台詞でもあれば矛盾しないかもだけどそういう台詞は無いし、あったら国語の教科書に採用されるような名作扱いされてなさそう><
さらに追加で、「畜生、それなのになんで涙が」みたいなのがあったら、ベタベタなお話になってもしかしたら採用されてたかも?><;