だってさ、宇宙船とか出したとしても、やってることが東海道を徒歩で旅する程度のことなら、宇宙を旅させる必然性ってないもんね。
ロボットやアンドロイドと恋愛するとして、機械ならではの問題とかに触れずにハッピーエンドなら、そりゃ不要な設定だよね。
その設定にしたからこそ起こりうる問題とか、そこを描かないならSFとは言えないし、SFである必要性もないでしょ。
OSSの"全て"っぽい><
https://opensource.org/osd.html
"6. No Discrimination Against Fields of Endeavor"
陳腐かどうかの点もそうで、もっとわかりやすく言い換えて駄作か傑作かは重要では無く、
"絵画でも音楽でも、その巧拙は問わずに絵画であり音楽だろう。"
は、"絵画"自体の定義が難しいのはもちろんとして、その上で、例えば水彩画は油絵ではないかも>< 例えばSFではない小説が小説ではあってもSFでは無いのと同じように><
科学は手法であるって話もまさにそうで、科学的成果は陳腐化しても、科学という手法自体は科学という手法である限り科学であり、そうではないものはそうでは無いかも><(トートロジーなので当たり前だけど><)
科学という手法と科学的成果(科学的知見によって得られた情報の集合)をごっちゃにしちゃうので、"科学が"陳腐化するって考えになっちゃうのかも><
https://mstdn.jp/@sugano_akihiko/102438199344195515
の、"当時の科学"、"現代の科学"はそれぞれ科学そのものでは無く科学的知見によって得られた情報(の集合)かも><
こういう「いわゆるハードSF的では無いものはSFと見なさない派」の人の気持ちは分かるんだが、そういう人たちに対して、底意地の悪い俺なんかは「じゃあ、ベルヌやウェルズや、クラークをくわえてもいいんだけど、古典的なSF作品それぞれについて『これはSF、これはSFじゃない』って分別してみろよwww」とか言ってみたくなる。言わないけどね。
たぶん、古典的なSFが陳腐化してしまっているなんて関係者も分かっているだろうさ。だから、それらをも包括してSFと呼べるような定義を考えたのだと(控え目に)思うのだがね。いや、古事記や竹取物語なんかをSFとするとかまで言うと再現なくなり、もはやジャンルとも言えなくなるんだけど、まあ、そういう人にはそうなんだろう。
絵画でも音楽でも、その巧拙は問わずに絵画であり音楽だろう。紙にインクを飛び散らせて「これは絵だ」と言い張るなら、そうなのかもしれない。剣道でも柔道でも「初段ぐらいは持っていないと……」と思う人もいるんだろうけど、級も持ってないとか白帯でも、その動きが剣道なり柔道ならそうだろう。
考証が甘いからSFではないとか、拙いからSFではないというのは違うよな。