解釈に幅があることは多様性だけど、矛盾がある解釈を複数の正しい意見のひとつにしてしまうと、何らかの誤りがあった時にそれを見つけ出す力が失われるし、その誤りは単にその特定の文書でのですめばいいけどそんなことはなく、何らかの文からの解釈から別の何らかの決断に繋がり、それは時に誰かに損害を与えることにも繋がるので、「それぞれ」のなかにも「それぞれとしても、それぞれの範囲の中で誤りはないか?」という視点が大切なんだよ><
今日の話の発端の「古典を教えるべきか?」も、肯定否定それぞれだけど、根拠に誤りがある主張は「それぞれ」ではなく誤った主張だよ><
それまで「それぞれ」にしてしまうと誤った主張に沿った誤った道に進むことを止める力が失われるよ><
新美南吉 ごん狐 https://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/628_14895.html
"...「おや」と兵十は、びっくりしてごんに目を落しました。
「ごん、お前まいだったのか。いつも栗をくれたのは」
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
兵十は火縄銃をばたりと、とり落しました。青い煙が、まだ筒口つつぐちから細く出ていました。"
で終わってるので、もし因果応報説をとるならたとえば追加で
「しかしな、人間の命は栗ごときでうめあわせられるようなものではないのだ。思い知ったか畜生め。ついに敵をとったぞ」
って台詞でもあれば矛盾しないかもだけどそういう台詞は無いし、あったら国語の教科書に採用されるような名作扱いされてなさそう><
さらに追加で、「畜生、それなのになんで涙が」みたいなのがあったら、ベタベタなお話になってもしかしたら採用されてたかも?><;
国語教育での「作者がどう考えていたか書きましょう」も、本当にその時に何を考えていたのか(例えば「原稿の締め切りが!」とか)ってことじゃなく、「作者がどういう考えを持っていたと考えると妥当であり、文中の記述、または外部の情報等とも含め、それらと矛盾しないと説明できるか?」って考えると、まさに読解力の問題であり、なおかつ説明能力(これもPISA型読解力に含まれる)の問題かも><
もちろん、提示された情報から作者が「原稿の締め切りが!」って事ばっかり考えていたと矛盾なく説明出来てなおかつその推測が最も妥当であると説明出来るのであれば、原稿に追われてた説を出してもいいかも><
「作者がなに考えてたかなんて作者じゃないからわかんないよ! 原稿の締め切りばっかり気にしてたかもしれないじゃん?」は、なにも検討せずなんの根拠も示してないので0点かも><