モンゴル原産時々Assetto Corsaでレース鯖を開いています。
いまどき「安全じゃない車」なんて存在しないわけ、ほとんどの人の頭の中には。それだけ早いペースで車の世代の代謝を進めてこれたのは日本の自動車産業様々だけれど、機能性といった付加価値でしか勝負できない昨今に一旦安全とは何かという法規や構造設計で担保されているはずの所まで立ち戻った理解が売る側にも、そして乗る側にも当然必要になるんだろうねぇ
ニュートラルでアクセル踏んで爆音にする必要性(必要な場面)がなければ、ニュートラルでアクセル踏んで爆音にする(ある程度以上回転数を上げる)必要も無いかも>< もちろん必要があるのであれば何らかの対策をした上でそうすべきかも><(のように考えるのが安全に関するデザインの発想かも><)
小物入れが足りないとか見た目が極端に好きじゃないとかもユーザーにとっては「酷い目にあってる」事になるからあれかも><
それもまた価値観として存在するということそれをカモにしてブランドだけの衝突安全性が軽自動車以下の輸入車を売りつけるインポーターもいれば、安全性に瑕疵がある軽自動車を売り続けるメーカーもまかり通ってしまう業界
操縦性とかなんて車なんだから走るのは当然、それよりいくら積めてどの程度乗り心地が良いかになるでしょ遊び道具じゃなくて道具なんだからむしろ問題があるならそれは欠陥車だって話になる(だからこそプリウスが目の敵にされてるのはありそう)
たとえば「うっかりニュートラル状態でアクセル踏んだら爆音がした!酷い目にあった」などと宣うユーザの姿が私には容易に想像できてしまうし、結局のところユーザがどう思うかをどれだけ尊重すべきかというのはユーザ自身の安全意識によって重み付けを変えるべき
安全意識の低いユーザの思う「酷い目にあった」は本質的に安全向上と競合する可能性がそれなりに高いのではないかと思っている
安全デザイン……なるほど
医療でもこの問題は注目されていて「その治療たぶん副作用が強いかも!」と思わせたらそれは医療における安全のデザインとして誤りがあるという事になるし、その誤りはインチキ代替治療や反ワクチンみたいなのに患者を送り込む原動力になってしまう><
このクルマの話でいうと、「安全なクルマ」を、ユーザーに「それたぶん酷い目にあうクルマかも!」と思わせたらその時点で安全デザイン上欠陥と言うこと><
アップデートの無効化のデザイン上の問題でありIT業界が遅れてる点は「アップデートしたせいで酷い目にあった!」とユーザーに思わせたらその時点で安全上欠陥であるという発想が欠けている点かも><(ユーザーは「酷い目にあいたくない」のであって「アップデートしたい」わけではない><)
軽自動車に限った話で言えば、前者のユーザーを惹きつけるのが上手いのはホンダ、後者を惹きつけるのが上手いのはスズキと個人的に思いますこれもニーズってやつなのかぁ?
あとこの前少しショックを受けたのが、本当にクルマに関心のないユーザーって実は安全性や操縦安定性に優れる車があっても、それをクルマ選びの材料にするとは限らないということ当たり前の話ではあるけれど、"操縦安定性の良し悪しを直感的に感じ取って選ぶユーザー"と"それを意に介さず見た目や小物入れの多さ、ブランドだけで判断するユーザー"もいるということメーカーもその辺分かっていて、意図的に開発予算をかけるところを変えてるじゃないかと思う
たとえばITセキュリティの意識低い層がインドッズの自動アップデートを無効化したりなどの例を見てもらえれば、システムだけ改善しても誰も使わないか文句を言われるだけということがわかる
鉄道は人間を信用しなくてOKじゃなくて、いかにして人間の判断を介在させないようにするかという一点を実現するために限りない犠牲を払ってきた歴史があって
ストイックなまでの気を抜く瞬間を与えない、場合によっては数時間続くというシステムが平穏無事に稼働するわけない
ていうか安全に関するデザインの研究って、「いかに自分はアホじゃないと思い込んでる人間はアホか?(ていうか人間と言うものはいくら訓練されてもアホである)」ということを解き明かす研究かも><
話題からは脱線しますがユーザーがアホなのはメディアやバイアスが片棒担いでるという側面もある(自動車に限った話)ex.ドイツ車安全神話、トヨタ車品質神話探せばまだある?
それはそうだけど、ユーザーがアホじゃ駄目でも、製品のデザインはアホなユーザーがひどいことをしても酷い事にならないようにされなければ欠陥品だよ?><;
人間の注意力に安全を依存してるのであれば人間を外すのが良くて、それは完全自動運転
思考の /dev/null