秦川/BYD フライヤー (2001-2008)
BYD初の市販車
今やテスラを抜き、世界一のEVメーカーとして注目を集めるBYDであるが、その自動車事業の出発点は意外な車と縁が深かった。
蓄電池メーカーだったBYDは2003年に西安秦川汽車を買収し、BYDオートと名を改め本格的に完成車事業へ参入した。西安秦川汽車時代に製造していた車種を引き継ぐ形で販売開始されたのがBYD フライヤーである。この西安秦川汽車、元々はCA71スズキ アルトのライセンス生産を行っていた工場の一つであり、西安 アルトという名前で1992年から生産していた。アルトからの代替車種を模索する中でアルトのプラットフォームに独自の車体を被せたフライヤーを2001年に発売した。ボディパネルの大半を独自に作り直したことで、原型となったアルトの面影は全く感じられない仕上がりだ。
BYDに改名後も改良が続けられ、地方都市を中心に好調なセールスを維持し続けた。後継のF0(トヨタ アイゴのコピー車)がデビューする2008年まで生産が続いた。
アルトの存在なくしては、今日のBYDの躍進も無かったかもしれない。
BMW/EMW 340 (1949-1955)
戦後、BMWアイゼナハ工場はソ連に接収された後に東ドイツの国有企業Awtowelo(アフトヴェロ)として乗用車生産を再開した。再稼働後の数年間は戦前/戦中のBMW車を生産していたが、1949年に戦後初の新型車であるBMW 340の生産を開始した。基本的な構造は戦前のBMW 326そのものであるが、キドニーグリルを廃した独自の外装とセダン、ワゴン、パネルバン、救急車などのボディバリエーションが与えられた。なお、西ドイツのBMW AGは1951年まで自動車生産とBMWの商標を使用することが認められなかったため、それまでは東ドイツの企業がBMWのブランドを冠した車を生産していた。1951年には西ドイツBMWの商標権が回復したことに伴ってブランド名をEMWに変更した。
基本構造が戦前のBMW車を踏襲した影響で主要部品の多くが西側企業製であり、東ドイツ国内でコピー部品を生産する必要があった。しかし、それでも部品供給は安定しなかった。そのため、生産が数週間に渡って止まることもしばしばあった。
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ワタクシの可愛らしさやモフモフ感が良く再現されててとても気に入っています
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Cybertruck Bullet Test https://youtube.com/watch?v=teRRk-0KHus&si=ZgDI_OU91JyUW7GY
公式プロモーション
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SUS304より耐食性や加工性を強化したいときに選ぶ材料はSUS301?SUS316? それぞれの違いや特徴を解説します。 | 栄光技研
https://www.eiko-sp.co.jp/news/sutenresu/
このページによると、テスラが作った独自のステンレスはSUS301がベースらしい><
https://www.sae.org/news/2020/06/tesla-cybertruck-stainless-steel
#1日1珍車 いすゞ・バーテック (1996-2001)
ンダオタクならホンダ・インテグラSJという車を知っている人もいるだろう。ハードトップではなく窓枠のある純粋なセダンの小型車を持っていなかったベルノ店用に用意された、簡単に言うとオルティア顔のシビックフェリオである。これも十分にレアだが、さらにその上をいくものもある。いすゞ・VERTEX(バーテック)だ。
こちらはタイ限定販売の車。正確に言うとインテグラSJではなく、タイ国内でシビックセダンにオルティアの顔を付けたものを生産していたので同じような成り立ちの別車となる。
エンジンがSOHCだが1.6LのVTECということ以外はあまり特筆することはないが、98年のマイチェンでリアに「V」を模した謎のエンブレムが付いたりしている。
これはただ単純にホンダからの一方的な供給というわけではなく、いすゞ・ロデオを「ツアーマスター」の名前でOEMしていた相互関係である(これは世界共通)。いすゞ車は部品出るっていうしこれもそうなのかな()
秦川/BYD フライヤー (2001-2008)
BYD初の市販車
今やテスラを抜き、世界一のEVメーカーとして注目を集めるBYDであるが、その自動車事業の出発点は意外な車と縁が深かった。
蓄電池メーカーだったBYDは2003年に西安秦川汽車を買収し、BYDオートと名を改め本格的に完成車事業へ参入した。西安秦川汽車時代に製造していた車種を引き継ぐ形で販売開始されたのがBYD フライヤーである。この西安秦川汽車、元々はCA71スズキ アルトのライセンス生産を行っていた工場の一つであり、西安 アルトという名前で1992年から生産していた。アルトからの代替車種を模索する中でアルトのプラットフォームに独自の車体を被せたフライヤーを2001年に発売した。ボディパネルの大半を独自に作り直したことで、原型となったアルトの面影は全く感じられない仕上がりだ。
BYDに改名後も改良が続けられ、地方都市を中心に好調なセールスを維持し続けた。後継のF0(トヨタ アイゴのコピー車)がデビューする2008年まで生産が続いた。
アルトの存在なくしては、今日のBYDの躍進も無かったかもしれない。
第45回:インパネを薄くできる ウレタンビーズ
https://xtech.nikkei.com/dm/article/MAG/20140120/328578/
今の車って材質から違うんやね
すきなもの
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中古のスズキ車すら買えない低収入で虚言癖のあるオタク