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単にイーロンがバグと言えばバグでイーロンが仕様と言ったら仕様で、イーロンは一貫性が無いので
ある瞬間までバグだったものが仕様になったり、ある瞬間まで仕様だったものがバグになったり、
あるひとつの事象が意図的か意図的では無いかもイーロンの気分によってその時々で変わる><

昨今のチュイッテのシステムの挙動変化、もう仕様変更なのかバグなのか暴挙設定なのか外からは区別付かないし、大本営発表のないうちは一喜一憂するだけ無駄という感じがする

高校生が電車の乗務員室に侵入、自作の名札付け運転士と雑談…JRグループ社員を名乗る : 読売新聞オンライン yomiuri.co.jp/national/2023071

ニンジャの才能ある

せっかくの技術も使うのは人間・・・やはり人間が悪い・・・w

TwitterがThreadsへのリンクをブロックしていると報じられる - GIGAZINE gigazine.net/news/20230712-twi
ちょっと笑った

良い喩えかは知らないけど、「この車は状況と操作に対して必ず再現性のある振る舞いをします。たとえば時速128kmでブレーキを踏むとブレーキは壊れて確実に効かなくなります!」というのは型安全のいう “安全” の範疇なわけ。クソ。
我々が求める安全性ってのはそうじゃなくて「ブレーキが壊れて効かなくなるような速度をそもそも出せません」でしょう

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ワイ「hoge型が想定されてるストレージにfuga型書き込んだろwww」
プログラム「はい型が違いま〜すwww異常終了!!!」

↑ みたいな例を考えたとき、異常終了が必ず保証されているならこれは型安全性を破ったことにならない

「勝手に変えるな」の正体はこれですかな。たぶん。

その文脈での「マシさ」には度合いがあって、動的型付き言語はそのマシさにおいて最底辺に近い、ということをわかってほしいという話

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あらゆる不都合な動作を「例外が飛びます」とか「終了コード127でプログラムが終了します」とかの “定義済の挙動/状態” へと飛ばしてしまえばそれは “型安全” な言語になるんだけど、それで? という話でしかない。
極論を言えば「未定義動作で必ず abort() する拡張されたC言語」みたいなものがあったらそれは型安全といえるはず。
で、サイレントに狂わなくなるのは確かにだいぶマシではあるが、所詮マシなだけなのよね

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で、定義済の挙動であることはわかったけど、そもそも実行時に型エラーが出るようなプログラムを実行できてしまうのは本当に嬉しさ十分なんですか? というのが、開発者が向き合うべき本当の問題なのよ

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たとえば「Javaは型安全です!」というのは「Javaの書き換え可能な配列型は共変なんだけど、型エラーの際には ArrayStoreException が飛ぶという定義済の挙動になるから、プログラム全体としての振る舞いはちゃんと想定されたものになっています!」というのを含意している、ということをまず了解する必要がある。

お風呂めんどくさいし洗人機ほしいけど、多分体験がクソだし洗人機そのものの清潔保つメンテナンスを思うと自分で自分を洗ったほうが良さそう

人まるごとを洗う機械は大きくて開発難易度が高いので、最初は小分けにして部位ごとに洗う機械を開発していくべきであろう。まずは頭を洗う洗脳機を

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思考の /dev/null