新学習指導要領におけるメディア・リテラシー教育の要素分析 | CiNii Research https://cir.nii.ac.jp/crid/1050282812959727232
もう <https://mastodon.cardina1.red/@lo48576/112716066682096613> で回答したことになっていると思うけど一応改めて書いておくと、単一の権威を鵜呑みにしろなどとは一言も言っていないし (自分より信頼できるものが絶対だなどとも言っていない)、「(情報源の精査は大前提として必要だが) 自分自身の情報源の精査能力自体にも疑いを持ったうえで信頼を傾斜配分する必要がある」という話をしています。そういう点では私の言っていることと「複数の情報源から適切に信頼性の重みをつけた上で、矛盾がないか等しっかり見て多くの情報に照らし合わせて検証しましょうって話」はそう遠い主張ではない。
端的に: 私は私の内面の外側においていかなる権威でもなく、いかなる権威になるつもりも今のところなく、私的な見解はあくまで現時点のものであって固定された普遍的な事実の表明として発されるものではない。
平成29年告示小学校学習指導要領におけるメディア・リテラシーに関連する記述の分析 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsetstudy/2022/2/2022_JSET2022-2-B13/_article/-char/ja/
情報源が対立していたとして一方が全面的に信頼できてもう一方が全面的に嘘をついているとは限らないわけで、そういう部分の精査なんかも素人がやるには限界があるわけよ。
Kの件に限らず社会で起きているあらゆる紛争はそういう面があるけど (直近だと宇露戦争とかも)
たとい生の事象が「被害者と加害者」という二項対立っぽい現象であったとて、考察するうえでその生の情報源にしかアクセスしてはいけないわけではないし、そこで「詳しくない部分についての分析を専門家にアウトソースする」という選択肢を選択できるか、自分がどの程度無知であるかを自覚して行動できるか、というのが重要
ちょっと雑な話だけど「月の裏面に兎がいるか誰も確認していない、ということは月の裏側に兎がいる可能性もいない可能性も等しくあるのだからどちらの仮説も対等に紹介しないと駄目だ!」みたいな考えに陥ってしまう人もいるわけですよ。場合によっては 50%-50% だと思ってしまう人さえも……
客観性とか多角的な視点を持つうえで二項対立を絶対の基礎とするのが既に変で、そういうある意味で偏った思想を持っていると「明らかに質が釣り合っていない情報を対等なものとして並べないといけない気分」になってしまうわけですね。実に良くない。
先の投稿 (<https://mastodon.cardina1.red/@lo48576/112716028120549760>) で意図してそのように書いたので誘導された人もいるかもしれないが、べつに一般人にとっての情報源は「被害者」と「加害者」だけではない。しかし安易な発想をしてしまう人は二項対立で物事を捉えてそれ以外の選択肢に気付かず後回しにしてしまう