その点で、自己正当化に成功するような範囲の人間だけに絞って考えたとしても、現行秩序の維持や連続的な変化を良しとするような価値観から見ての “合理的” な判断は、「多様な主観から妥当と判定されるか」という観点でみたとき十分な “客観性” を獲得できていると信じるほどではないなと思っている、という話です
べつにそれが悪いと言っているわけではなく、その “合理性” の正当性はは客観性に依拠しているのではなく、現行制度を (ある程度) 良しとする価値観を暗黙に前提としていてそれが明示されていなかったしそれは万人に必然的に共有されるものでもない、その意味で “客観的” な思考ではなかった、という話です