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orange さんがブースト

もちろん現実的にあらゆる公理や入力を列挙することは不可能なわけだが、それが不可能であることを双方で認識したうえで必要な箇所の暗黙な前提を認識し開示していく作業こそが、合意に至るプロセスとして必要だ

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orange さんがブースト

人々はその暗黙の変数や公理の非互換を責任転嫁して、「論理だけでは不十分だ」などとあたかも論理的であることが不完全かのように言うが、これは見当違いで全く原因を見ていないと言わざるを得ない

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orange さんがブースト

つまるところ本当の意味で “論理的” に考える人々がひとつの結論への合意に至れないとすれば、それは公理や仮定 (日常の語彙で言うなら、譲れない価値観や状況や文脈) を全て共有して論理を組み立てられなかったからに過ぎない

オレンジが最近よく書いてる「ここをこうアメリカ風にすれば!><」も、個人的にそうなってほしいという話でもあるけど、例えば物流の効率化とか食糧自給率改善とか環境対策とか住宅環境改善とか通学の安全性向上とか色々な個別のメリットに対応した多数の案であって、それら個別のメリットが全て「イラネ」であれば「じゃあいいや><;」かも><

orange さんがブースト

それが個人の思想によるものであろうと、 “社会” の要請するものであろうと、結局のところ行き着く先はイデオロギーと判断者の価値観であって、これは唯一の正解たりえない。

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orange さんがブースト

想定される帰結や利害をまとめあげるとき、多次元の情報を良し悪しの一次元の評価にまとめあげる評価関数が介在している。その部分。

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orange さんがブースト

その「総合的な」の部分が私の見出す主観性ですね

オレンジ的には最低限の客観性として立場の変化や当事者性の変化が起きても一貫した判断が出来ると言うことが発想の最低限の矛盾解消に必要であるかも的な考えで、
例えば「立場Aの時はそれでいいけど、でも、立場Bの時はちょっと嫌かも><; でも総合的に考えればこの判断が最適であると考えるので、立場Bであっても我慢する><;」みたいなのも、我慢するって事はある意味一部主観が残ってるとも言えそう><

orange さんがブースト

今の我々の社会が可能な世界の状態のうちどの程度の位置付けにあるのかはわからないけど、少なくともそこに見出される必然性のようなものは誰かの主観や思想をアンカーとした正当化なのであって、 “真の客観性” を見出すには遠く及ばないはずだ、という個人的な信念がある、という話でした

orange さんがブースト

人間向けの創作が人間ライクな思考をする主人公を据えないと読者が受け取ることができないというのと似たようなもので、全然別の社会を想像しようとしたって我々はある程度の互換性を備えたものしか受け取れないのだろう。

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orange さんがブースト

まあたとえばディストピアを描いたって所詮読者は現行秩序の構成員なわけで、その点で「今の人々にとって有意義であるような形での描写しかできない」という割と深刻な制約は抱えているけどね。

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orange さんがブースト

現行の社会と同程度に “内部の人々からそうあれと望まれる” ような社会で、我々と相容れないような社会制度が、存在するかもしれないということです。
それがどんなものか具体的に想像することはできなくても、創作に垣間見えることはあるだろうし、そうでなくとも「共有されないかもしれない仮定や文脈」の範囲を自覚する助けにはなる

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orange さんがブースト

もちろん “論理的な” 思考は現行社会の基盤ではあるけど、それが十分に正当だったり厳密だったりという期待はしていないし、それを厳密にすることが人々に生きやすさを与えるかというのも自明ではないので、結局そういうファジーな部分を受け入れて現行社会の脆さを認めるしかないんじゃないかと思います

多くの場面でそうだと思うけど、オレンジがいま行ってることも矛盾の追求だと思うし・・・あれかも><(?)

orange さんがブースト

人々が自分の思考の 論理学::健全性 や 論理学::完全性 を気にすることは基本的にないし、それでもなんとなくそれらしい感じで論理というものは社会基盤に使われている。

我々が現行社会のイデオロギーとそれに強く紐付いた自然言語で思考するような概念が、それらを離れた場所で “正当性” を持つことが当然であると信じる理由はあまりないんじゃないかと思います

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それは完全にその通りだと思うけど、でも、一方で矛盾の追求という形で矛盾する意見の排除はある程度出来るというか、わりとオレンジが普段やってる事かも感><

orange さんがブースト

たとえば我々が何らかの論理を「正しい」と言うとき、それがどの公理系においての言明で、 (論理学の語彙で) 導出可能であることを言いたいのか、どのような付値に対しても真偽値が真になることを言いたいのか、そういうのって人々は気にしてないわけじゃないですか。
日常において「正しさ」といったってそんな程度のものということです

それはなんかよくわかんない・・・><

orange さんがブースト

ここでいう『意味』ってのはひとまず semantics ではなく “意義” とかに近いものだと思うことにしておきます (そう読めたので)

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orange さんがブースト

たとえば仮定を強めにしますけど、現行社会が抱える思想が単に無矛盾であることを要求しているように見えるとして、その無矛盾であることの判定やそれを良しとすること自体が現行社会の枠組みの中でしか『意味』を持たないのであって、別の秩序においては「その秩序内における『意味』」を持つような体系がありうるんじゃないですか

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