この例で言えば
「(食糧の依存先)の言いなりにならないでいいように、たとえばこういう風に自給率をあげる必要がある」か
「食糧輸入先A国はよくないので、B国であればこれこれこういう理由で悪いことをしないし輸出してくれるとのことなので切り替えるべき」とか
「自給率をあげるのも切り替えるのもよくないのでいいなりになるべき」とか、その辺りの結論になるけど、
「輸入し続けるけど言いなりにならないし輸出しないという脅しに屈しないし実際に輸出されなくても屈しない」みたいな矛盾した結論にはならない><
そのうえで自分にとって都合がよい (これは経済的/身体的利益を得られるというだけではなく、信念を満足するかという精神的な利益も多分に含まれる) ものを選択的に「妥当な判断である」と称しているし、その判断の裏に潜んでいる「自分の価値観」の存在を常に自覚するようにしている
個々の目標について何をすべきか、そのうえで何が優先されるか、本当に “十分な” 情報と前提や文脈の共有があれば思考者に依存しない結論を出せるかもしれない。
でも、 “社会をよくする” ことを目標に据えたとき十分な情報も前提や文脈の共有も無理な話なので、思考者に依存した結論しか出せないはず、ということが言いたかった