そもそも公共の福祉が個人の権利の制限を正当化する理屈であってそれを我々が (部分的かもしれないが) 受け入れているところからして、「人権を尊重すべきである」という道徳が常に例外なく履行されるべきであるという主張をしていない人が多いことはわかりますよね。
であれば、「○○は道徳的である/ない」という主張を否定するために orange 氏の論法のように「『常に○○すべきである/ない』はおかしい」という理屈を出すのは反論として成立していない
https://mstdn.nere9.help/@orange_in_space/105713755669187176
「苦痛を与えないことが道徳的である」から「苦痛を与えることが矯正されるべきでないという合意が得られた」の間に、暗黙に
「道徳的な行動を常にとるべきである」
という前提が隠れてますけど、これが明示されていないだけですよね
オレンジはなるべくそういうテクニック使わないように気を付けてるけど、あとから読み返したら自然に使っちゃってて「あ><;」って事もあるし、相手があまりにも議論出来ないタイプの場合には、てっとり速く議論を終わらせるために意図的にそういうアンフェアなテクニック使うこともまれにあることはある><;
つづき
「あらゆる苦痛は避けるべきである」のであればそのためにはって話であれば、ゴールがあるかも><
あらゆる苦痛を避けるように考えれば良い><
ただし提案者が言う『苦痛』が何であるか明かさずにいたり、それが避けるべきということに既に合意があるかのようにしてしまったら、思考実験としても意見を集め精査する議論としても役に立たないかも><
なにかを買うべきものと錯覚させて売る宣伝の場面などであればかなり有効なやり方かも><
あるいは「出産は道徳的正義である」という前提を置いて反出生主義の主張を検証して、どの部分で競合が発生するかを確認するのも有意義だと思いますよ。
論理展開自体が破綻していないのであれば、何かしらの前提の否定を我々が受け入れていることに気付くと思われるので