ほぼ全人類が地球を平面だと思ってた時代だってあったわけで、現代の人間集団も結局何かしらの観点ではそういう過渡的で歪んだ状態になってるわけで、じゃあそれを「多くの情報に触れる」ことで認識できるだろうかと。
それができないのであれば、多種多様な情報に触れるというのは結局「平均値に向かう」でしかないのではないかと。
結局「偏りを減らそう」というのは「偏りのない状態」を規定できないのであれば無為な試みかもしれない、みたいな空虚な考えもなくはない。
偏りがあることを認めるところまでは行けるし行きたいけど、それが「全人類、あるいは全情報のなかでどういう立ち位置であるのか」というのは本当に正しく認識できるのか? というのはかなり微妙なんじゃないかと
色彩語の形成と受容 : 青を中心として/美術科教育の問題意識から https://www.jstage.jst.go.jp/article/aaej/12/0/12_KJ00001895631/_article/-char/ja/
結局どう足掻いてもそれは「リンクを辿る」の自動化あるいは距離の短縮に過ぎなくて、視点の広がりや観点の多様性の増加の担保にはならないんですよね。
「広く調べればいろいろな観点で物を見られる」というのは (少なくともインターネットにおいては) 幻想なんじゃないかというのが私の感想
https://mstdn.nere9.help/@orange_in_space/104717121422462118
この「盲点を減らす」というのが、無数の泡沫ページの群であるところのインターネッツ上ではそもそも本質的に困難であり、ポータルサイト的な立場の「リコメンデーション」や「特集」というのがあたかもそれを可能にしているかのように捉えられている、というところによろしくなさを感じている
youtubeの広告でさえもこういう風に知識を得られる機会になる事もある><
https://mstdn.nere9.help/@orange_in_space/104713402427710412
(ウェブブラウザでは広告ブロック使ってるけどスマホでyoutube見る時はアプリから見てて広告そのまま><(動画作ってる人への投げ銭的感覚で))
編曲はこの人らしい><(たぶんこの人の作業の方が同じだ感(?)に大きく影響与えてそう)
根岸貴幸 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B9%E5%B2%B8%E8%B2%B4%E5%B9%B8
この人><
田中公平 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%85%AC%E5%B9%B3