長いやつ3
最後のアレについてだけど、ドッジボール状態になってない状態からなら双方が正しく双方の目的を理解して双方にメリットを生み出すようにしていきたいと双方が思って進めていくのであれば相手のことを考えることは言うとおり必要だし双方がそれを意識する必要はあるけど、
そうでないなら相手のことを考える必要ないと思うというかそもそも相手にされてないのにそれについてのことを言っても暖簾に腕押しだから会話になってない会話はそもそもしない、がオレンジの人にとっての最大限のメリットになるというか
ドッジボールになると思ったらデメリットしかないと思ったほうがよくて、それを分かっていながら続けたのであれば、相手にしかメリットがない!と言ってもそもそも双方マイナスからのスタートなだけだし、相手がプラスになるわけではなくて-10が-7になるくらいだから双方別に別段のメリットがあるわけではないし
謝罪について思うこと
謝罪って、する側にはメリットがあって、相手が望んでいない場合でも、自分の罪であると表明することでそれ以上の追求を止めたいときってのがある気がする。
なので謝罪を求めていないときに謝罪をされたとき、「そんなのは求めていない。行くところまで行こうぜ」って言うか、「これ以上はもう意味が無い」と思って矛をしまうか。
仕事上で謝罪もするしされたこともあるけど、だからといってどうにもなるわけではなくて、何か手を打つか打ったあとになるんだけど。ひとまずこの件に関してはおいといて次に行こうってときに使われるイメージがある。
なんというか、コミュニケーションを円滑で行う上での一種のテクニックというか、日本の古くさい文化にある「死体にムチを打たない」みたいなやつ。
長い2
いや、謝罪のことだけではなくて、その場を終わらせるために本人が最善だと思い行動したもの、が事例では謝罪であっただけで別に謝罪に限った話ではないというか、
相手が望んでいる方向によってそのようなものが発生し得るわけだけだし それが単に謝罪だったかブロックだったかまた別の対応だったかなだけであって別に謝罪することがいいとか悪いとか言ってるわけではない
自分さえ良ければ、というのはおそらくよくいうところの会話のドッジボールになっている場合に発生するというか
その会話を続けること自体はメリットがない側にとってデメリットのみが増え続けるだけなので早急に終わらせることによってデメリットの増大を防いだだけで、双方が双方に主張をしてたらなんか終わった!それだけ!って感じというか