wikipedia のフォーマットで “参考文献” への参照とともに作られた嘘記事はたくさんあるし、その訂正が拒絶されることもあるし、そしてそれは「ファクトチェック」についても同様で、ファクトチェックの形式とともに嘘をそれらしく主張することはできる。
この点で「フラットだと証拠がなくて集約型ファクトチェックだと証拠がある」みたいな主張は根本的に正しくないようにみえる
プラットフォーム公式ファクトチェックのバイアスに対して「草の根で対抗」すればいいという話になるなら、最初から全部草の根のほうが中立性の担保として安全側じゃないですか? 「公式」チェックという、それそのものがチェック対象な (しかも公式は自身を無条件にファクト扱いするであろう) デカい声がひとつ増えただけになってしまうし。
ひとつの「真実」の座を、現象としての真実そのものの参照ではなく真実への「言及」から集める必要がある以上、集める人はそこにバイアスをかけられるわけですよね。
で、「草の根」でやるならそのバイアスにも多様性がありうるからまだマシだねという話に「プラットフォームに権威としてやってもらえば全部集まるじゃん」と返してしまうのは、バイアスの可能性を無視してプラットフォームの善性を無条件に信頼しているのとほぼ同じに見えます
ていうかだからこそ、ファクトチェック自体が議論というか、議論つきの資料集めスクラップブックっぽい感じの実装にすればいいんじゃないかみたいなアイディアを昨日書いた><
https://mstdn.nere9.help/@orange_in_space/113818535471447268
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