であればこそ、人々が異なる判断を下しうるような話題について、そういった隠れたコンテキストをあたかも存在しないかのように目を背けるというのは意見の表明や交換の方法として不誠実だと考えるし、少なくともその存在を明示したうえで切り込んで分解し共通点と非互換な点を割り出していくことを躊躇うべきではないと思う
もちろん現実的にあらゆる公理や入力を列挙することは不可能なわけだが、それが不可能であることを双方で認識したうえで必要な箇所の暗黙な前提を認識し開示していく作業こそが、合意に至るプロセスとして必要だ
人々はその暗黙の変数や公理の非互換を責任転嫁して、「論理だけでは不十分だ」などとあたかも論理的であることが不完全かのように言うが、これは見当違いで全く原因を見ていないと言わざるを得ない
人間向けの創作が人間ライクな思考をする主人公を据えないと読者が受け取ることができないというのと似たようなもので、全然別の社会を想像しようとしたって我々はある程度の互換性を備えたものしか受け取れないのだろう。