人々が自分の思考の 論理学::健全性 や 論理学::完全性 を気にすることは基本的にないし、それでもなんとなくそれらしい感じで論理というものは社会基盤に使われている。
我々が現行社会のイデオロギーとそれに強く紐付いた自然言語で思考するような概念が、それらを離れた場所で “正当性” を持つことが当然であると信じる理由はあまりないんじゃないかと思います
その点で、自己正当化に成功するような範囲の人間だけに絞って考えたとしても、現行秩序の維持や連続的な変化を良しとするような価値観から見ての “合理的” な判断は、「多様な主観から妥当と判定されるか」という観点でみたとき十分な “客観性” を獲得できていると信じるほどではないなと思っている、という話です