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ある程度それはそう><
だけど、一方で、比較対照に実例がなければそれがどういう長所と短所を持っているか解き明かすことはとても難しいかも><
(オレンジのさっきに日米の数学教育の話もそうかも><)

orange さんがブースト
AppleWin論争でも言われがちだけどなんにせよ雑に相手側を下げる底の浅い人が嫌いって話はわかるよ
他をsageないと良さが伝えられないの残念すぎるよね
orange さんがブースト

Winとかを使ったうえでちゃんと比較をして言うならいいんだけど,半可通というかよく知りもしないでAppleマンセーみたいなやつが鼻につきすぎるんだよ

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orange さんがブースト

iPhone 使ってるだけで自称 Apple ファン気取りなのも嫌い.そいつが普段 Win つかってたりするとなおさら.

orange さんがブースト

リンゴ社の製品は嫌いじゃないけど,いちいち その他 sage してくる自称リンゴ信者が嫌い

他国の事情をなんも知らん傾向が強いのはアメリカもそうなのであれだけど><;

数学教育でも公共交通や物流や道路政策等でもそうだけど、日本だけ見た場合とアメリカとの比較で見た場合では全然違うものが見えてくるし(どっちが完全に優れてるみたいな意味ではなく、比較によりそれぞれのやり方の長所と短所が見える)、
なんかこう、井の中の蛙的な他国と比較しない議論になりまくりなのって、改善可能な点を見つけるのが難しくなって効率悪すぎるのに「うちはうち、余所は余所」の発想で比較を避ける人が圧倒的多数っぽくてあれかも・・・><

「日本の暗記教育よくない」とはよく言われるけど、日本での暗記教育じゃない教育の模索もいいけど、そもそも「暗記教育じゃないものとは具体的にどう言うもので、どういう物が暗記教育なのか?」は、海外の暗記じゃない教育と比較しなければしっかりとわからないし、
オレンジも動画見てアメリカの数学教育調べて「マジで!><;」ってなったけど、他国の事例が一般に知られなければ、暗記教育の問題の解消の議論もまともに進まないのでは?><
暗記と逆方向にぶっとんでるアメリカの数学教育を基準に考えたら、井の中の蛙をしてる日本の数学は少々改善してもどこまでも暗記教育だし、根本的に改善しなければならない点(問題文を理解する能力に関する教育とか)も、より見えてくるかも><

オレンジはアメリカとフランスの考え方が好きだけど、教育の面は知らずに好きになったのに、両国の教育を調べると教育もオレンジの考え方にかなり近いのおもしろいかも><
「こうするべき!><」→「フランスとアメリカはそうやってました」的な><
(ちなみに両国とも元々は嫌いな国トップ5に入ってたけど、偏見とれて考え方を理解したらすごく好きになった><(むしろオレンジっぽかった的な><) すごく大嫌いからすごく大好きに変わった国ってそのふたつだけかも><)

もっと言えば「まず日本語を教えろ」での "教えろ" が指す内容を中心に教えるのが、アメリカの高校までの数学っぽい><
(アメリカなので英語だけど)

なのでなので、日本では「プログラミングを教える前に日本語を教えろ!」って意見多いし、新井紀子先生の研究なんかでも「それはそう><;」なんだけど、この文脈で言う "日本語を教えろ" の部分を、アメリカでは数学で教えてるってことっぽい><

ていうか、最初に貼った動画を見れば、アメリカの数学が国語っぽいってわかりやすいかも><

"アメリカの数学が簡単すぎる!?大学入試の問題を解いてみた!" を YouTube で見る youtu.be/SRSUCPl9fpw

ていうか、アメリカの数学は国語にかなり近い面も持っていて、問題文の理解とかも重視してるらしい><(アメリカの数学教師してる日本人のブログによると)
ある意味日本で言う『算数』に近い発想っぽい><
でも、日本の算数みたいな掛け算順序問題(算数への日本語文法の強引な適用)みたいなのは起こさないし、教師の好みの暗黙の制約(ゼロサプレス等)なんかも無い><

orange さんがブースト

日本の数学教育が応用分野と切り離されてるのって,まぁ数学自体がそういうことを美学とするようなところもあるようだけど.

もう一つは各科目が絡み合ってしまうと,一つ引っかかると連鎖的にほかの科目も引っかかるって事態を防ぐためってのもあるのかもしれない.

アメリカの高校までのプログラミング教育がどんなものか1ミリもわからないけど、アメリカの数学と同じような発想で教えてるのであれば、ソートアルゴリズムも暗記はさせないんでは?><
想像だけど、ソートアルゴリズムをいくつか教えて、そのうちどれかのアルゴリズムを生徒に説明させて、で、時間が経った試験の時にはソートアルゴリズムの簡単なコードは問題文側に書いちゃうんでは?><
現実でも「この場合はあのアルゴリズムが適切なはず!>< どう書くのか忘れたからググろう><; ・・・そういえばこうだった!><;」で済むでしょ?><
アメリカの数学教育ってつまりそういう発想ぽい><

暗記しなくても済むものは暗記しなくてよく(「こういう感じのものがあったはず! なんだったっけ? 度忘れした・・・」でよい)、関数電卓で解けるものは暗算しなくてよい。
その代わりにどういう場面でどういうものを使えばいいかを判断する能力は徹底して磨かれるし、数学の要素も暗記はしなくても他人に説明できなければ理解したとみなさないのでとにかく生徒に説明させる
みたいな感じで、リソースの振り分け方が全く違うので、日本人から見るとアメリカの高校卒業時点での数学って「小学生でも解けるんじゃね?><;」(比喩)みたいにも見えるかも><

全部読むの大変そうなので強引に要約すると、
アメリカの教育の発想での『理解』は
『どの場面でどの道具を使用すればいいかを適切に判断できること』
かつ
『学んだ内容(物事)について他人に説明できること』
っぽいので、「なぜそうなのか?」も理解しなけらばならず、単なる暗記ではクリアできない><

orange さんがブースト

○○という設問に△△という手順を適用できる→理解しているとみなす

あほくさ

つまり、アメリカでは「学んだ」=「応用できるようになった」になってるという事は、学ぶ側の姿勢も「これは現実でどう応用できるか?」が中心になり、プログラミングの学習の場面でもそう考えながら学ぶことになり、『学んだけど実際のコードが書けない』なんて事にはならない(単に『学んでいない』と(自己)判断する)のでは?><
って思った><

で、思ったのは、プログラミング教育でも日本では「習ったはいいけど実際のプログラミングはなんも出来ん」とか、最大値はこう探すって教えても「最小値ってどう探すのか全然わからん」みたいなのが起きるっぽいけど、
アメリカで少なくとも大学にはいるまでにクリティカルシンキング的な考えの教育を受けてきた人であるならば、学習すること自体が「これは何に使えるのか?」って発想ベースになっているであろうから、アメリカ(の主に大学(底辺含む))では「習ったはいいけど実際のプログラミングはなんも出来ん」に日本よりもなりにくいんでは?><
って思った><

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