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そこで「修正するしか選択肢がない」のは mc がクッッソ有名で、修正しないことによる制作側へのダメージがデカすぎるからですよね。まあ正義の心があるからというのも否定はしないけど……
決して「創作者だから修正しか選択肢がなかった」わけではない。
マインクラフトのオウムカカオ豆問題ってものすごく典型的かつ事実上修正するしか選択肢が無い代表例だと思うんだけど><ファインディングニモ問題が既にあった上でのやらかしだよ?><
あと、マインクラフトのオウムにカカオをポジティブな餌としてあげられるのは危険って指摘で、毒物扱いに変更したのとかも代表例かも><「じゃあ動物学者が自分でゲーム作れ」とはならない><そういう風な修正だらけにならないようにする為にも、ある程度は調べる事が(というかたぶん調べる習慣をつける事が)必要かも><
対等云々はちょっと違うように感じるかも><オレンジらしい集合知大好きな考えのひとつの現れかもしれないけど、何らかの表現がそれを見たものに批評されるのが当たり前に起こることだし、あらゆる分野にはより専門的な知識を持つ人物が居る事が多くあり、そういった人物がより専門的な視点によって社会的影響まで考慮した場合には重大であると判断するような事が、実際に重大だったりすることも多々あるかも><なんか船舶のアニメの描写が危なすぎてツッコミが入った例とか><
もっと雑に別の話を出すなら、そもそも創作者と鑑賞者が対等なわけないんだよね。たとえば商業的都合がない限りは読者がいなくたって小説は書けるんだから。
鑑賞者として対等に物を言えるのは同じ鑑賞者に対してであって、たとえば「調べもせず創作の描写を真に受けるなよ」とかよね。創作者と対等に何か言いたいなら、自分がより正しくより面白い作品で主張するしかない
我々が本当に苦言を呈すべきなのは、粗製乱造により人々の欲求を満たす粗悪なランキングシステムや、作品の “品質” と連動しない評価関数であるべきだよね
「全体最適のために局所最適の追求をやめろ」というの、無関係な市民の言としてはまったく妥当だが、当事者には響かない
正しく描かないことへの視聴者が感じる違和感で、オレンジが実際に違和感が出そうだけどやってみないとわからないのでちゃんとした人に実験してほしいのが、電線のたるみ><ホラーとかでわざと現実と違って直線になるように描いたり、通常の世界と夢の世界や異星人とかに疑似体験させられてるVRな世界とかの描き分けに使って、視聴者が違いに直接気づきにくいまま気味悪さを感じる演出に使えないのかな?>< って><
ていうか読み手も低いまま開き直りそうなのが最終的には実害が出そうな気もしなくもない・・・><そういう知識は義務教育でつけるべきで・・・とも言えるけど、間違いが多すぎる描写は読者に嘘を教える事にもなりかねないわけで、それはフィクションだからといって許されなかった事例も多々あるわけだし><
読み手にとってはなろう小説なんてYouTubeやインスタと同じでその場で消費して何も残らない娯楽でしかないんだと思う名作のようなカタルシスを得ようなんて思って読む人いないよ
連載形式のネット小説というシステムそのものが作品や書き手の質を下げる要因になり得るのかな?それに小説投稿サイトを見る読者側もそのへんの質の低さは承知の上で読んでるから大きな問題にならないんだと思う例えばこれがプロの作家が書いた単行本の小説だと細部の齟齬がノイズになって作品への没入感を阻害して楽しめなくなるし、書き手側もそれを理解しているから細部の考証を詰める作業をするんだろうけど、小説家になろうに投稿されている作品には誰もそこまでの質のものを期待していないからねただし、書籍化にあたって出版社側が修正を入れずにそのまま発売してしまうのは作者と読者双方をバカにしてるとしか思えないけど
ある程度それはそうというか、(物知らずな人が多い)VTuberの平均とかが世界の標準だとしたら「それはそう><;」だし結構そんな気もするけど、でも一方で「時代劇とか社会科の教育番組とかで井戸くらい見たこと無いの!?><;」とも思うかも><;
まあこれは守備範囲と程度の問題だし、大半の人は井戸の実物を見たことがないし手押しポンプの原理も知らない、その程度の話だと思う
意図的なフィクションでは無い部分を正しく描く事へのこだわりは突き詰めると趣味の領域になっていくけど、でもわりと簡単な部分でも、多くの人が普段から注意深く観察はしていないけれども多くの人が見慣れてるような物を雑に描くと、多くの人にとって違和感がある気持ちが悪いシーンになったり作り物っぽさを感じるシーンになったりするのであれかも><
や、私も個人的には正しい寄りの方が好きではあるけど。それは単なる矜持とか世界観とかの問題であって一般論ではない
「創作するのだから正しく描きたい」とかいうのは単に一種の趣味というか指向であって、「創作するのだから面白く描きたい」とか「ネットで公開するのだから安定して供給したい」よりも上位であるべきという意見には無条件では賛同できない
それは「知ること」に何より重きを置いているからこその評価関数であって、大抵の人はそうでないし、創作というヘビーなタスクをするなら尚更では?
テレビドラマの効果音とかも、お話追いつつ犯人誰か考えつつ脚本家の意図を予想しつつもおかしい所が無いか気にしてる><(ついでにロケ地がどこかとか映り込んでるものがなにかとかも気にしてググりながらとかになるので忙しい><;)
ある程度は「まぁ、うん><;」だけど、コンピューターゲームで遊ぶだけでさえもめちゃくちゃ調べるオレンジからすると、最低限調べるのラインが低すぎて「創作物でそれ!?><;」って呆れる事例が多々発生する><;
「知らんことをテキトーに書くなよ」はこの文脈だと「お前ごときが人気をとれると思うなよ」に直結しかねないので
思考の /dev/null