><https://twitter.com/orange_in_spacehttps://pawoo.net/@orange_in_space
オレンジ的に どう危険に感じているか? という点でいうとこれかもしれない><
なんでこれで済まないのかマジでわからない><https://mstdn.nere9.help/@orange_in_space/105712667935600778
じゃあBさんのこれで済むじゃん?><https://mathtod.online/@cmplstofB/105712380945790467https://mathtod.online/@cmplstofB/105712441796567231https://mathtod.online/@cmplstofB/105712453564605686
今朝の進化論否定ヘンテコ生物番組の話を出して言いたかったのも、その、出演者が言うところの神様の手違いで生まれたヘンテコ生物も、神様の手違いじゃなく、何らかの(種にとっての主体的な)意思でそう進化したわけではなく、単純に結果的に淘汰されなかったのが残って、そのひとつの種が、ある人間の主観から見たらヘンテコに見える生物だってだけだよ><
ていうかわりと直接的に、この議論の文脈上の『苦痛』と、宗教上の神の意思とかその類いのものって、結局の所あり得ない客観的な主観に基づいているという点で同じだと思うよ><
その"それらしい前提"って、ID説周辺での(事実上の)神の意思と同じくらいそれらしいかもしれないけど、同じくらい誤りに導くそれらしさかも><
特定のそれらしい前提を置いてその上で議論を展開するの、十分に妥当なやりかただと思うけどなぁ
どの、苦痛と幸福の総量なるものはどうやって量るのか?><
生まれてきたのを悔いるレベルの苦痛でなくても、幸福の “総量” (未定義) の方が多くても成り立つ主張ですね
というのであれば、Bさん(なんて呼んでいいのかわからない><;)の主張の通り、元祖の人の話は破綻しなくても、例外を作った時点でおかしくならない?><
ここで言う「苦痛に満ちている」は「総合的にプラス」の意ではなく「苦痛の発生が少なからず存在する」の意味でとられるべきだと思うけど
苦痛が存在するということが問題視されているのであって何が苦痛にあたるのかが問題になるわけではないので、反論したければ「人生は苦痛に満ちてはいない」と反論しなければならないのでは?
個々によってイベントや境遇?に対する定義も異なるんでしょ?><だとしたら、イベントを憂慮(?)する者と"これから生まれてくる個人"によってもまた異なるんだから意味無い考察でしょ?><
苦痛とか快楽とかは人類に一様なものではないので、当然「これから生まれてくる個人」の主観に立脚して論じられるべきでは?
そんなの定義不能なものに強く立脚してて、最終的にというかわりと早く個人の好みの問題になっちゃうじゃん?><結局の所、個人の範囲に収まってしまって他人を定義するに至らないかも><
もちろん両立すると思うし、そのうえで私は反出生主義はとても道徳的で納得のいくものに見えている
あと幸福と不幸を客観的に定義しようともしていなくない?総合的に人生には多くの不幸があるという前提はあるけど、個々のイベントや総合的な人生が不幸であるとか幸福であるとかは別の話のように読めるけど
つまり、オレンジには、その反なんとか主義って宗教や似非科学とかID説にかなり近いものに見える><
重要な部分で文字抜けてた><;
xなんだこの番組、少なくともを学ぶoなんだこの番組、少なくとも『生物学』を学ぶ
思考の /dev/null