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「他人に勝手に『苦痛』を与えるべきでない」の方が近い。反出生主義は「あなた自身が苦痛を避けるべきである」のような主張はしていないので。
「あらゆる『苦痛』は避けられるべき」って主張なら、個人の好みとはいえまぁ矛盾はしないと思うかも>< 権利の衝突は起きるけど><
つまり、単なる宗教であってそれ以上のものではないし、もちろん哲学的議題にするにも破綻が多過ぎるって話にならない?><
反出生主義は「お前は不幸だ」などとは主張していない。「生まれてこなかった場合そこには享受者不在の平穏があり、生まれてきた場合そこには苦痛 (とおそらくは快楽) がある」という話であって
そもそも人類に限定したり、すべて快楽であれば推奨されるべきという発想の根拠はどこから来たのか?><ってなるかも><
https://mathtod.online/@cmplstofB/105712863797213170
これは普通にそのとおりだと思いますよ。これから生まれてくるすべての子供たちが人生において受けるあらゆる刺激が快楽であるなら、出生はむしろ推奨されるべきでしょう
べつに自分以外の全人類が哲学的ゾンビだと主張してもいいし、それは現実世界と矛盾しないと思いますが、それは「人類は感覚を持つ」という主張を否定する材料にはならない
ていうか、思考実験と「こうすべき」って主義って別物かも><そしてこの議題の反なんとかは主義かも><
ていうか、"感覚をもつ存在"って、(少なくとも)人類にとって未だ未定義かも><
そもそも『苦痛』に厳格な定義がないのであれば、そして未定義なままでもあらゆる『苦痛』は避けられるべきでありそれは実践されるべき(または私はそれを実践する)となればかなりの矛盾が生じるかも><
や、普通に「感覚を持つ存在に (同意なく) 苦痛やそのリスクを押し付けることは『道徳的でない』」という主張です
らりお氏がいう反出生主義は「人生って不幸なことあるよね。不幸なことはこれから生まれてくる世代に味わせたくはないよね」ってことかしら?
この点、ものすごくおかしな事になるかも><その主張は、「ストレスで分泌されるとされる物質の分泌は『苦痛』の証拠であり」、「その『苦痛』は避けられなければならない」が、成立していなければ成り立たないかも><
べつに反証不可能ではないと思いますよ。子供が生まれる瞬間から薬剤か何かを投与して幸福しか感じないようにして「この子供は一度も泣かなかったし死ぬまでストレスを意味する物質の分泌もなかった」と言ってみせればいい
ていうか、ずるいよりもむしろどうおかしいのかわかりやすくなる話かもって気がしてる><
ウサギが未定義だったらもしかしたら成り立つんでは?><
「月の裏側なんて見えないんだから、なんでウサギがいないと思うんですか」
それって結局「将来のことなんてわからないんだから、当然苦痛があるとは限らないよね」というかなり不誠実な態度に見えるんですが、どうでしょう。
これから生まれてくるかもしれない人間に、主観である苦痛をどうやって聞くのか?><イタコでも呼ぶ?><
公共の福祉は権利が競合するとき双方に制限をかけるもので、反出生主義で人間を生誕させることをよしとしないのも「これから生まれてくる人間の被る苦痛 (あるいは苦痛を被らない “権利”)」と「人間を生誕させたい親 (想定) が人間を生誕させる権利」を天秤にかけてどうですかという話になるし、そこはちゃんと議論の余地があると思うけど。結果的に後者が優先されたとして、それは反出生主義の破綻ではないよね
思考の /dev/null