@opptape ケーブルクレーンの固定側の基礎だと思う。反対側はこんなん
http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranB/Konogoro.cgi?id=217
基本的には同意だけど、例えば音楽でも聴くことが目的という面での楽しみで言えば人間が通常知覚できる範囲の制度の情報があれば十分だけど、制作背景を知るための資料としてはモナリザの絵で例えてるようにどこまでいっても現物以外は不十分で、音楽も制作時のマスター音源やミックスダウン前の各録音にも価値はあるかもで、それを個人でも楽しむタイプの人も居る><(→><)
(音楽は見るもの!><)
もうひとつ、同様に写真フィルムはフィルムの段階で劣化してるのでデジタルでもいいじゃんじゃなく、技術が進めばさらに情報を読めていけるのがその通りなんだから、わざわざ今からフィルムを使う意味はほぼないと思うけど、過去の写真フィルムは価値があるかも><
たとえば「フィルム写真は解像度が分子レベルなのでデジタルより精細」みたいな話があって、まあたしかにそうかもしれないけど。
レンズで光が歪み、フィルムの表面の形状で映像が歪み、フィルムの劣化で映像が変化し、現像でまたノイズが入るし制度もどこまで高いやら、そんな状況で本当に「分子レベルの解像度」に価値があるのか、というところを問わないといけないのでは
たとえば原子レベルでモナ・リザのイラスト複製しようというとき、元のイラストを構成する個々の陽子が誕生してから今まで過ごしてきた主観時間という情報は失われるけど。
その情報が本当に失って惜しい情報なのかというと、おそらくそんなことはないし、どうせ元のイラストを保存しても陽子は少しずつ崩壊していくわけで
で、情報を記号化する時点で劣化が起きるのはそうなんだけど、そもそも人間も情報処理装置であるゆえ記号化による劣化からは逃れられないわけで。
人間が知覚不可能な特定の情報を残す意義があるのかというのを論じずに「劣化する!」と主張するのはちょっとアンフェアなわけですね
物理的な世界そのものはとにかく情報量が多く複雑なので、我々が何らかの目的を達するためには、人間や技術が扱える程度に情報量を減らして単純化しないといけない。
それをデジタル化の限界と言うなら、まあそうですねという感じはある