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ていうか、出来た事にしてもらえないと先に進めなかった人がまた同じ教育を受けた所で、おそらくまた先に進めない><

orange さんがブースト

小中高そして大でも,「できたこと」にしてもらってきた人がこうなる

ある物事を一方向から見てわかんなかったら、別方向からも見てみるってしないとわからないのは当然で、視点を変えず一点から同じ見かたで何度繰り返し見ようがわかりようがない><

「君は今すでに中2だけど実は小4の段階で躓いているので、数学ではなく算数からやり直す必要あるんよ」を心を折らず伝えるコミュニケーション能力が求められる - Togetter [トゥギャッター]
togetter.com/li/2445112

ChatGPTに頼って論文とか探しながら勉強するスタイルになって特に強く思ったけど、
特定の段階に戻ってって発想で勉強しても結局メンタルモデルの書き換えができなければ何にもならないので、戻るんじゃなくて欠けてる部分を概念からメンタルモデルを形成する形で勉強するってしないと、どこに何度戻っても結局何にもならない><

@hadsn 自分で気づけないコード上の問題点が云々じゃなくて、「こんなコード人に見せられないよ!><;」って認識してる部分をなおす気力が足りてない時にはソースを公開しないみたいな感じ><
逆に人のコードを見て「(こんなコード、よく人に見せようと思ったね!><;)」って思うこともある><(この前のカイロソフトの事例とか)

x 事象高速道路
o 自称高速道路
><;(厳密には自称してないけど><;)

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orange さんがブースト

保安基準
全体的には欧州の方がクソ厳しいイメージ(ホイール変えるのすら申請必要)
しかし、何故か灯火に関しては欧州より厳しいの謎

日常的に近所の一般道を90km/hで走る国よりも、近所の一般道をたかだか60km/hで走り 70km/hの事象高速道路に中央分離帯をつけろと文句を言う人が居る国の方がクルマを完璧に整備して基準もガチガチにしなきゃならないのか、わけがわからない><

なんで日本の道路って制限速度が低いのに、車両の保安基準がこんなに厳しいのかはかなり疑問><(安全側に振りまくってるって意味では一貫してるのであれだけど><;)

灯火の話で、ちゃんと車検対応でしっかりしたのをって事も同意できる一方で、アメリカのクルマがなんかストロボつけて走ってたりするのも見ると(現地で合法かは知らない><;)、「日本の灯火の制限、もうちょっと緩くてもよくね?><;」とも思う><

orange さんがブースト

合法でもディーラーはあんまりいい顔しないけどねww(ヘッドライトの球をちょっと明るいやつに換えたらイヤな顔された。車検対応と明記されたパッケージを捨ててなかったズボラさのお陰で助かった)。

なんでOSSの考え方には賛同してるのに自分が書いた全てのコードを公開するつもりがないかというと、きれいにリファクタリングしたコード以外を他人に見せるのは恥ずかしいから><;
(例えば命名の英語が珍妙な表現だったりするのをなおしてないとかも><;)

実際に聞きに来た人はいなかったと思うけど(居たかもしれないけど覚えてない)、ソースを公開していないオレンジが作って配ってたソフトウェアで「同じようなのを作りたい人がもしいたら、どうやったら作れるか教えてあげるし、部分的にソースコードをあげるから聞いてね!><(意訳)」って表明してた時期はある><
mstdn.nere9.help/@orange_in_sp

orange さんがブースト

自由なライセンスであるコードとしてはソフトウェア全体としてはそのままビルドするには足りないけど重要部分は自由なライセンスって手法もありかもって><(と言うか10年位前やってた><)
OSSみたいにエンドユーザがそのまま好きに改造/改良は出来ないけど、「重要な部品はあげるし、なんだったら作り方は聞かれたら教えてあげるから自分でも作れば?><」って姿勢><

OSSなライセンスを自分のコードに対してどこまで適用するかに関しては、オレンジはBSDL派ではある一方で必ずしも全部は公開しないって考えを持ってる><

商標云々に関しては、どこぞの誰かが知名度に乗っかって商売するのが気に入らないというのであれば、(いくつかのライセンスとの非互換は受け入れたうえで)4条項BSDLにするとかダメなの?><
って気がしなくもない><

orange さんがブースト
orange さんがブースト

結局ユーザとブランドどちらを優先するか程度のシンプルな話だと思っている

orange さんがブースト

Matt さんのムーブについて、いろんな方の意見をチラチラ読んでいる。
#OSS の成功事例の代表格である #Wordpress でおきたことで、OSS そのものの限界を感じるという意見もあって、なるほど、うむむ、ともやもや考えている。うむむ。

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orange さんがブースト

#OSS は手段の一つ、というのは結構前から思って
英語圏を #Vivaldi :vivaldi_red: でエゴサしてたりするとよく #OSS を推している人から二言目に「ただ Vivaldi は結局 OSS じゃないからさ(だめ)」とか「まずはソースコード公開してから出直してね」みたいな雰囲気のコメントがついていたりするんだけど、そこまで #OSS そのものをひとつの理想とかゴールだと考えるのはちょっと自分にはやり過ぎ感があって、もうちょっと「手段に近いもの」だと考えた方が、#OSS を作る人にも使う人にとってもよいのでは…と、今回の #WordPress のニュースなんかを追いながら考えてた。

#OSS にも良い面と悪い面があって、そのメリデメみたいな話は「Vivaldi がオープンソースでない理由」(下記)のなかでも触れられていて、Vivaldi は OSS とかなり近い理想を目指しながら OSS というものも一つの手段として評価しながらそれも大事にしつつ、今実現できる最大限の理想に向けて進んでいる感じが応援できるポイントでもあって。

vivaldi.com/ja/blog/why-isnt-v

そう考えると、#OSS として存在し続けることの難しさとか、「理想像としての #OSS」みたいなものを実現させるのはむずかしいのかもしれない、ということを、今回の #WordPress の件とか、最近の #Mozilla 周りのニュースとかをみてもやもやと考えていると思うことではある。

ただ、そう考えていった先に何か新しい、より理想的で現実に実現し得る何かがあるとしたら、それは #OSS そのものを全否定するものではないと思うし、そうであってほしいと思う。

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