たとえば具体例を挙げるなら、昔のなろうは文章とストーリーの2軸評価だったが、いまでは単一軸評価になっている。これは作者にも読者にも作品の品質の要素を意識させなくなる改変であって、作品の品質を向上させるという観点では望ましくなかったと考えられる
そういった人々に対して「雑な創作をするな、成果物に向き合え」と言うのは、すなわち「人気を取ろうなどとチャラいことを考えるな、ストイックに物を書け」と言っているに等しい。
何を求めて書くかは当人の勝手だし、何かをする役に立つでもないし、こんな上から目線の “提言” や “助言” が届く訳がないんだわ
その一方でなろう系はアサイラム映画のように俗悪作品のジャンルとして確率してるようにも思う
ここ最近ではクソ映画やクソゲーのような低品質な娯楽作品を敢えて視聴(プレイ)してその良し悪しを批評して楽しむ文化も発展してきているから、なろう系作品もそんな時代の要請に沿って増えてきたのかなとも思う
これも一種の文化と捉えるなら案外悪くはないのかな
ちょっとフクザツな気持ちだけど
まあ出版社とて「正しさより供給量と面白さ」と思っているのであれば検証や編集を最低限にするのは経済的には正しい。
文句があるなら読者どもがカネを出してより “マトモ” な出版社なりレーベルなりを立ち上げるほかないんだよな
ネット小説の著者、書籍化に関係する作業で日頃の執筆に手が回らなくなって更新が止まったりするのが日常茶飯事なので、書籍化するからといって十分なコストが支払われていると思うなら大いなる勘違いよ。
まあその責任 (無責任?) の一端が出版社にあるであろうことは否定しないけど。