道徳教育云々長文><
日本の道徳の授業(というか教科書もどき)、「どうしてなのか?」を「悪いことです!」で終わっちゃい易い作りっぽく見えるし、フランスの結構最近?の公民道徳って公民がベースだから「あなたが権利を享受出来ているのは何故なのか?」という視点で、感情論では無くテクニカルに(?><;)説明しようとしてて、反論の余地を減らしてるっぽいかも><(しかも、「この通り、正しいと説明できるこのフランスの憲法にも書かれている発想を受け入れなければフランス人では無い!!!」ってなってるのもものすごくフランス的><;
(多様性を受け入れなければフランス人では無いって教科書相当の書物に書いてある><(多様性を受け入れないは多様性に含まれないって方式><(その逆の発想がアメリカのACLUの(文章が無限に終わらなくなるからカット><;)))))
静的型つけ言語的な・・・・><
https://mstdn.nere9.help/@orange_in_space/99232028795382763
長文2?><;
指摘って、その指摘の穴が指摘されない限り反論(指摘に指摘)をするまでは、指摘通りの誤った/矛盾した/不当な(等々)な選択/行動/考え方(等々)をしてる事になっちゃう><
指摘って対応させられるから超めんどくさい><(そのめんどくさい事をしまくってる><;)
でも、指摘が全く無ければ、全て何もかも自分で学んで、全て何もかも自分だけで考えないといけなくなっちゃって、それはめちゃくちゃとんでもなくめんどくさいかも><
指摘も受けず自分でも考えないで短期的に思うままにすればよい?><
その結果起きる事態はさらにもう(超略)めんどくさいの極致かも><
『指摘』をプログラミングの時の例外や警告に置き換えてみると?><