@acid_rain スクショは貼るもの、印刷するならハードコピー
で限界集落の集約化が議論になっていますが,日本の財政力や人的資本が減少する事は過酷な少子化により確定されているので,今後は水道や電気等のインフラ維持の簡略化のために国や自治体が補助したうえで中心部に引っ越してもらうことはやむを得ないでしょう。
憲法第22条の居住の自由には,わざわざ公共の福祉の制約が条文内に明記されています。これは公共の福祉による制約が他の権利より強いことを意味しますが,公共の福祉を武器としてどこまで権利を制限できるかが主たる問題になるでしょう。
もちろん規模が同じでも性質の大いに異なる地域形成は可能なのだろうけど、それは規模レベルで大小の差が大きい場合に比べて多大な追加コストが必要になったりしないだろうか、そして人口の減ってゆく社会でそのコストは負担できるのだろうか、とか
こういうのってグラデーションなわけで、下手にどこかに境目を引いてしまうと「この規模以下の地域は維持困難だから廃していく、この規模以上の地域は肥大化しすぎて SPoF になりかねないから小規模化していく」みたいな感じで都市の規模を特定の範囲に収まるように調整していく感じになっても不思議ではないように思われる (素人考え) んだけど、そういうのはどちらの文脈 (都市肥大化しすぎ/田舎つらすぎ) においても許容できるってことなんですかね
それ (都市の規模が特定の範囲に収まるように調整) って潜在的には都市の均一/均質化を促進しかねないのではという気がしており、素朴には諸手を上げて賛成できるアイデアではないような気がする
ただカウンターとして「分散のコストとリスクはたしかにあるし向き合う段階に来ている。しかし、一極集中していることも本当に大丈夫なの?」というのはぶつけたいなぁという気持ちもある。都会人が田舎に対して経済的合理性と正論で殴ってる、という構図で終わる話にしちゃいけないと思うし。
バックグランド故に結構複雑なものがあるし、注目されてナンボというのを理解した上でそれでも今なの?という気持ちもあるけど、それでも各地で議論をちゃんと進めていくことは、とても価値があるとは思うし、覚悟を持っての発言だったんだと信じたい。