ツイッターの本社がある通りの看板設置の景観基準これのはずなので、興味がある人は原文読んでみよう><;
SEC. 608.8. MARKET STREET SPECIAL SIGN DISTRICT.
https://codelibrary.amlegal.com/codes/san_francisco/latest/sf_planning/0-0-0-25129
ていうか基準これか!><;
ARTICLE 6: SIGNS https://codelibrary.amlegal.com/codes/san_francisco/latest/sf_planning/0-0-0-24697
書いた><
ビカビカ看板がどう違反だったのか原文探した><
せっかくだから具体的にどうダメなのか規制の原文を探してみた (#.4504888) | 旧Twitter本社屋上に新社看板が登場するも苦情殺到し、撤去 | スラド https://srad.jp/comment/4504888
書いた><
場所はここらしい (#.4504879) | カリフォルニア州で許可を得ずに多数のウィルスなどを扱っていた違法研究室が摘発 | スラド https://srad.jp/comment/4504879
オレンジが膨大なニュースをおもしろがって読んでる理由のひとつも、その複雑な影響範囲を読み解いて予想する事の難しさからのおもしろさって面も><
社会がどう言う反応をしてどう動くのかを、多くの文化圏の動きを見比べて過去の事例に照らし合わせて予想するみたいなの><
いつもの語彙に還元するなら、何かを正当化できる理由を探していて、その理由が本当に正当なのかを考えたい、という話なので、「結果的に社会との綱引きでこうなりました」みたいな結果論はレイヤーが違う (個別事例は参考にはなるが)
「駄目だったらそのうち外圧でどうにかなるので長期的には大丈夫です」はそれはそうなんだけど、それより前の段階として「ここまでだったら胸を張って問題ないと主張できるし戦える」とか「今のところここまで大丈夫とされているけど、それは本当か?」みたいな事前の判断の話をしたいわけです