その疑問は正当(?)で、「じゃあなんで売り文句として体験を使うのか?」、実例として微妙に不評だったらしい事例ではあるけど、日産セレナが「物より想い出」という売り方をしたけど、そういうのはどういう事かというと、
「あなたはクルマ選びを単に限定された移動手段としてだけ考えていませんか? お子さまがいるご家庭であればこういった自動車を選択すれば限られた子どもの時間にこういう想い出作りをしてあげることも出来るんですよ?」
みたいな問いかけをして自社製品に誘導する事が出来る><(自社製品に来なくてもせめて「買い換えるなら子供と旅行に行けるミニバンにしようかな」って検討を促す事くらいは狙える><)
こうすることでライバル製品と差別化できる><
体験を売り文句にするメリットであり顧客側も得られるメリットでもあるかも><(この事例で言うと、CMによりミニバンを選択したことでCMで描かれているような子どもとの想い出作り(をするチャンス)ができる><)
結局「体験を買う」と言いつつ、その「体験」というのは「指定してない無数の要素も付属しています!」というワイルドカード的な用法なわけで、逃げ道作ってるじゃないですか。
だったら「モノを買う」という言葉と対比せず「モノとそれに伴う無数の要素も付属しています!」を買っている場合と対比させるべきでしょう
「モノ」を買うというとき、モノだけを手に入れつつ体験は所有者個々人が新発見できるものだけど。
だったら「体験」を買うというときも、買った「体験」以外の様々な体験外オマケ要素が付随・新発見できないと釣り合わなくない?と
「モノを買っているようで体験を買っている」にはそういう “穴” があると思っていて。
「モノ」を買うというのが特定のモノだけを買うことを意味しているのなら、「体験」を買うというのも買った「体験」だけを買うことを示していないと言葉が対称になってないよね。
対称な言葉を使わないと対比にはできない
「モノはつまるところ体験であるから体験に金を出している」という世界観は、結局のところ「“モノ” (そのもの) ではなく体験を偏重している」という点でこの文章が揶揄する対象に当て嵌まっているのではと思う。
“体験” に金を出すことがモノに金を出すことに比べて特別に優れているというわけではないし、体験とモノに線引きしたうえで体験を偏重していることに無自覚なんじゃないか、ということを語っている