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特定の価値観の正当性を補強するものとして危険かも><
どう危険か?って、前提を明かにせず特定の価値観に導くのであればそれは詐欺的かも><

意図的に十分な説明をせずにある価値観に導くことがよいかわるいか? みたいな話になると話が収集つかなくなるかも><
少なくとも民主主義の存続に照らし合わせて考えると、十分な説明をせずにある価値観に導くことは破綻を招くかも><
もちろん民主主義がよいかわるいかは別の話><

orange さんがブースト

そもそも道徳って「特定の価値観や好悪の傾向を持つ人がより『正しい生き方をした』と納得できるように生きるためには、このようにすればよい」と主張するものだと思うし、例の主義もその例に漏れないと思うんですが。
どこが “実用的” じゃないんですか?

「何々を達成するにはこうすれば達成できる」という風にすればよい><
道徳という言葉を使って暗黙に一方的に悪いことを定義あるいは想像させるのは、人の考えを都合よく曲げるテクニックかも><

orange さんがブースト

そも道徳を考えるうえで「何が『良い』ことで『悪い』ことか」を考えることは不可避な気がするんですが、そこで他人の納得とか合意とか普遍性とか客観性とかそういうものを必ず突っ込むことができるという前提自体が私には納得しかねる

そういう意味合い><(たぶん)

「認識が噛み合っていない」という意味で言いたかった><(と書けばその誤解とける?><)

orange さんがブースト

なんか抽象クラスやインターフェースに「意味がないクラス」って言ってるみたいな感じに聞こえた。

議論上の未定義の言葉を用いて議論上の未定義の言葉を定義したかのように見せかけるの、騙すのには便利かもしれないけど、議論として成立させるために定義を明らかにする事には反してるかも><

orange さんがブースト

いや本当にわからないんですよ、あなたと私の考えや価値観が違うことがなんで問題になるんです?

orange さんがブースト

「あなたにとって私は不道徳な行いをしているように見えるかもしれませんが、私の価値観では私は文句なく善良で道徳的な行動をしました」

という主張になにかおかしなところあります?

反出生を意味のある主義にしたいのであれば、「道徳」とか「よい」「わるい」というような言葉なしに説明してみればいいかも><

それだけだと、反出生主義者が限定的な定義を元に『苦痛』を避ける事に「道徳」という言葉を持ち込むおかしさの部分の説明にならないでしょ?><
強引に単に「オレンジは不道徳!」みたいな話にも持っていくこともできてしまう><

orange さんがブースト

違うなら違うと言えばいいんじゃないですか。つまり「私の『苦痛』の定義によれば、人生は苦痛に満ちていない」と主張すればいいだけの話ですよね

反出生主義の『苦痛』のどこがどう同じ挙動なのか?><

orange さんがブースト

同じ挙動の神を信じる人に「神が困るのでよくない」が通じると何か問題があるんですか?
別の神を信じていたり神を信じていない人に同じことを合意させるような「前提の違うところに結論だけ持っていく」ような話でもなければわざわざ否定するものでもないと思いますが

前提を歪めれば成立できる理論を前提が歪んだ事をスルーして有用性を議論するの?><

orange さんがブースト

理論の話してたら「でもそれ応用できないでしょ?」とか言われたような気分になってます
応用に持って行くまでには別の工程と議論が必要なのは当然でしょう

「神が困るのでよくない」みたいな話を有り難がるな><

単なる個人的な好みでしかないことを「道徳」という言葉で説明するのは、騙しのテクニックとしてはおもしろいかもしれないけど、なにか意味のある哲学的課題として考えるには不適切で穴のある論理展開><

『反出生主義が定義する限定的な意味での苦痛』を避ける事は「道徳的」という言葉で説明する(または正当化する)のは不適切で、単に反出生主義者が個人的に避けたい事でしかない><

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