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変わりませんよ。もちろん前提を無視しない限りでですが (なぜなら議論は前提のもとに成り立つので)。
「人生に苦痛が存在するのなら (そして他のいくつかの前提を認めるのであれば)、あらゆる全ての場面で人間を誕生させることは不道徳である」は言えるでしょう。
前提を否定したいのであれば「人生に苦痛が存在しないしそのリスクも不安もない」とかそういう否定をちゃんと出してくださいと
ということは、反出生の話でも「あらゆる全ての場面で」って言葉をつけて熟考させても答えは変わらないとなるんでは?><;
はい、変わらないので「何回同じことを言わないといけないんだろう」と思ってました……
念押しされても変わらないのであればさっきの話も(念を押して熟考させようがしまいが)変わらないのでは?><;
実際にテクニックとして使っているように見えたからですそもそも論理的には束縛されていない変数に暗黙に ∀ が付くのは当然なので、念押しされても何かが変わりはしない
なんで?>< テクニックとして使えることは否定しないけど、明示してより厳密な話にすることよりも前提や定義が噛み合わない曖昧な議論の方がいいと?><
当然そうです
そもそも「あらゆる場面で」と明示するのは、たとえ内容に意味的な/実効的な変化がなくとも人間に躊躇させる効果があるので、それこそ「人を (逆方向に) 丸め込むのに使える」議論テクニックで忌避すべきものでは?
「あらゆる場面で道徳的によいか?」でも同じかも><
だから、そもそも「道徳的に『よい』ことをあらゆる場面で行うべきか?」というのは別の話だというのも既に言ったはずですが
あらゆる場面で適用できるか?という形式になっていなかったので気づかなかっただけでは?><ようは曖昧に騙しやすい形で説明を用意し、それに同意させ、その時の想定とは異なる結論に導く><詐欺のテクニックかも><
それも私は「多くの人」が内的に矛盾を抱えた論理を意識的/無意識的に共存させていると考えている」と回答したと思いますが。人々が納得しないことは論理の妥当性とは**何の関係もない**。
じゃあなんで多くの人が矛盾する回答をするみたいな状況になるわけ?><
最初からそう言っているんですが
反出生の話も、「あらゆる場面で他人に苦痛を与える事は非道徳という考え方の延長であれば、出生により生まれた人がなんらかの苦痛を得る可能性を考えると、出生は非道徳的ということになってしまう」って最初からまとめて話したら「それはそう。わざわざ書くべきようなことか?」となるんでは?><
可能でしょうし、誤解が生じやすかろうが生じにくかろうが「これは正しい」「これは誤り」「これは正しいか誤りか現時点では示せない」に収まるでしょうよそれは書き方の問題であって命題の妥当性についての問題ではない
問題を読んだ人が誤解しやすいように問題を作ることは数学でも可能では?><
誤解もクソもないんですよ、数学は前提が矛盾していると (少なくとも古典論理では) 任意の命題を導出できるのでそれだけのお話だし、ある命題を公理に突っ込むとき肯定しても否定しても矛盾が生じないこともある
それこそナンセンスでは……
数学でも同様に、一見正しい誤解させる設問があれば同じことになるんでは?><具体例を出せるほどの数学の知識無いけど><
いや本当に言葉が悪いのは承知の上ですが、「前提から結論が導かれる」という話に「危険である」とか言われても……いやそれ内容と関係なくて余計なニュアンスを読み取ってしまっただけでしょと……
思考の /dev/null