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なんで私が「『合意なく』苦痛を与える」と言ってるかわかってもらえます?
だから範囲の設定がおかしい><出生のみに縛られるかのようになってるけど、既に生まれている人が意思表示できない場合等であっても将来起こるイベントが『苦痛』であるかという問題は成り立つ><非科学的な推測によってもその意思の推定を行って他の存在の将来を決定して良いという発想であれば、エホバの信者が、意思表示できない他人が輸血を行う事で地獄へいく 将来の『苦痛』を憂慮し、その者に輸血を行わさないということもまた受け入れなければ矛盾するかも><
いやわからん、反出生主義は「何が当人にとって苦痛であるか」の定義を **必要としない** ので。前提として使われている命題は「人生には (当人にとって) 何かしらの苦痛が **存在する**」だけです
特定のイベントが苦痛であるかとか、特定の他人にとって何が苦痛であるか予測できるかとか、そういうのは全く関係ない話です
"「『苦痛』が苦痛であるか」は、いかなる場合でも苦痛を被る当人の主観によって定められるものであって、"
これを言わせたかった><;でわかるかも?><
「『苦痛』が苦痛であるか」は、いかなる場合でも苦痛を被る当人の主観によって定められるものであって、輸血がどうこうとか関係ないですよ
今回ばかりは本当に orange 氏の論理展開がわからない
だからその文脈上の『苦痛』はなに?><「それには輸血も含む?><」って言いたい><
だったら最初から「他人に同意なく苦痛を与えることは悪いこととは限らない」と言えばいいじゃないですか今までの話はなんだったのか
目的を定義しない「『苦痛』が避けられるべき」かは科学の範囲では無いかも><
それこそ科学的でない理屈だと思いますが……
もしかして「信者が行った主観的な想像」と「多数の人間を観察した結果得られる傾向」に同程度の説得力があると思ってます?
一億歩譲って『苦痛』は必ずあるとしても、「その『苦痛』が避けられるべき」までには飛躍があるかも><
だからさっきからずっと言っているのが「『人生に苦痛がある』という蓋然性の高い主張を否定するなら、相応に蓋然性の高い根拠や論拠を (想定でもいいから) 出すべき」という話です
つまり、一部の人が言う反出生と、別の一部の人であるエホバの子にも行った反輸血って、結局の所、他人の『苦痛』を主観的に想像し、それを根拠に正当性を主張してる点で全く同じでは?><
生まれてて想像してる人の主張と、生まれてない当人の(主張のしようが無い)主張 との間でも同様とは思い至らない?><
信者にとってはそうでしょうね。信者以外はそれを否定するでしょうけど。で、信者が「この行為はあの人にとって苦痛でない」と主張するのと当人が「この行為は自分にとって苦痛でない」と主張するのが対等な説得力を持っていると思います? 私は思いません
まだ生まれてない子の苦痛も、すでに生まれた人の想像でしかないよ?><
それは「親が想像したもの」であって「子にとっての苦痛」ではないですよね
ていうか、エホバの信者の世界観的には、輸血により地獄へいく(細かい教義忘れた)こと自体が(エホバの信者以外も含めた人間にとっても)『苦痛』なんだから、「人間に『苦痛』を与えることを避けるべき」という発想とあわされば、「輸血は即時禁止されるべき」となるかも><
エホバの親の視点では、子が輸血を受けて罪を背負い地獄へいく(細かい教義忘れたので雑)のは、親視点での『子にとっての苦痛』でしょ?>< って言いたい><
思考の /dev/null