新しいものを表示
orange さんがブースト

なんで子供にとっての苦痛が不道徳であるという話に信者である親にとっての「苦痛」の話になってるんですか?

オレンジは1985年のエホバの信者が自分の子への輸血を拒否し死に至らしめた事件が典型的な事例かもって思うかも><
エホバの教義上輸血は避けなければならないもので、信者にとって輸血を行うことはさっきからの文脈上の『苦痛』と言えると思うかも><

orange さんがブースト

「宗教的」が未定義なのでわからんけど、「本人が苦痛であると感じる何かを得る可能性があるか」という問いには客観的に「極めて高い」と言えると思いますが。むしろ否定する根拠を持ってくる方が難しいのでは? (物理的に不可能ではないだろうけど)

この事例を持ってきたかったけどこの1985年の事件wikipediaに個別項目無いっぽい・・・><

輸血拒否 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%B
"...1985年に神奈川県川崎市で発生した、10歳の児童が自動車事故で両脚に複雑粉砕解放骨折の重傷を負って救急救命センターに搬送され、"

未定義な『苦痛』であれば(そして未定義である)受け入れ難いし、その『苦痛』は想定するものにとっての主観的であり、なおかつ、宗教的側面をも持つものかも><

orange さんがブースト

最初から主観の話しかしてないけど……
「これから生まれる子供がその子供自身にとって苦痛であるような苦痛を被ることを避けるのは、その子供を生む親や、その子供を養い受け入れる社会や、関わることになる第三者や、その他人類の幸福を望む人々にとってのゴールである」という主張はそんなに受け入れがたいか?
(誰にとってとか自明なこと書いたら同語反復っぽくなってしまった)

なんでいきなり、未定義の『苦痛』に対して「存在しない方がよい」って前提がいきなり発生するのか?><;

orange さんがブースト

antinataro.hatenablog.com/entr

> 3. 苦痛が存在していないことは良い.それは,たとえその良さを享受している人がいなくとも良いのだ.
> その一方で
> 4. 快楽が存在していないことは,こうした不在がその人にとって剥奪を意味する人がいない場合に限り,悪くない.

orange さんがブースト

非存在者の幸も不幸も考えてないよ

それはその文脈上、誰にとって不幸って話なの?><
いきなり主観が混じってるかも><

orange さんがブースト

じゃあ私からも問いたいんですが、「子供を不幸にしない」というのは誰にとってのゴールかそんなに非自明ですか?

だからそれが誰にとってのゴール(あるいは目的)なのか?>< って言ってる><

orange さんがブースト

目的、どう考えても「これから人が生まれてきて不幸になることを避けるため」では???

だから、「誰にとってのゴールなのか?><」って聞いてる><

スレッドを表示

その道徳が(特定の文脈がある)『道徳』であって、曖昧な対象である点と、道徳なるものが目的無しに存在し得ないものである点から><

orange さんがブースト

逆になんで道徳の話をしているのに道徳という言葉を避けるんです?

もっとシンプルに、道徳なんて言葉を使わずにこういえばよくない?><
「人間が存在しなければ、人間に苦痛を与えないで済む」
ただそれだけの話であって、道徳やら良い悪いなんて出てくる必要無いかも><

orange さんがブースト
orange さんがブースト

つまり「人に危害を与えることは避けるべきである」という前提を認めないのであれば、新しく人間を生誕させるべきでないという結論にはならない

古いものを表示
:realtek:

思考の /dev/null