「潜在的に正しいかもしれないが、そこに責任も社会的意義もあるとは限らないような敵対的言説」というのはいくらでも錬成できる。そういった安いものをローリスクハイリターンで人をいじめられる道具に転用できるということがまずい。少なくとも利用者には雑な使用を躊躇するような何らかのコストを負担してもらうべきだ。
潜在的に正しいかもしれない言説を真偽以外を理由としたフィルタで無視することを「無批判に信じさせる」とか「ファクトチェックを拒否する」と称しているなら、まさにそのような認知が構造上の問題を発生させているし私の批判の対象であると言うべきでしょうね
反論に成功したとして、失ったものを取り返したり補填できる構造になっていないんですよ。そんなんツッコミが一方的に有利だし嫌がらせに活用されるに決まってるじゃないですか。
それで無視したら「間抜けな意見」<https://mstdn.nere9.help/@orange_in_space/114475331107760576> とか「恥ずかしくないの」<https://mstdn.nere9.help/@orange_in_space/114475393704366717> とか言われる。
殴り得です。
で、そのレッテルが誤りだった場合にレッテルを剥がす、さらには貼り返すことが、レッテルを貼るのと同等あるいはそれ以上に簡単である必要があると思うんですが、そのような構造になっていないことは問題だ、そういう話なんですよ
https://mstdn.nere9.help/@orange_in_space/114475371833300229
https://mstdn.nere9.help/@orange_in_space/114475393704366717
たとえばこの投稿で示唆されているように、「エーアイによる “指摘” 事項が発生しうるならそれは結構な確率で妥当な指摘なのだろう」という一定の期待が人々の間に存在しているだろうことが推測でき、その場合「指摘が存在する」というだけでそれは「嘘を言っていそう」というレッテルを貼ることに成功している。たとえツッコミ者の信用がゼロであっても!
しかもその先入観あるいは偏見 (エーアイへの信仰) が強化される機会は沢山ある。