もちろん何らかのうまい構造でそういった公益性の高い活動に適切な報酬が出るようになればそれが良いのだろうけど……そんな報酬どこから出るねんという話と、報酬が出る仕組みは必ずハックされて当初の目的を果たさない形での搾取が始まるという話があるので、そううまい解決策はない
結局リソースの問題なんだよね。
情報を集める労力を出せないから。
情報を理解する思考リソースと学習を捻出でいないから。
自分で使えない情報を出す余裕がないから。
わからないことをわからないと認めることによる不都合を補填しきれないから。
そういうリソースのなさ由来の問題を「でもリソース出せば解決するでしょ!」とするのはあまりに無意味な正論
裾野がどうとか母語で思考できる方がどうとか、いろいろ論点はあるんだけど、少なくともこれをエリート主義的だとして一蹴するのは言うだけなら簡単だが、じゃあ実際それを避けるための “翻訳” コストを払い続ける (あるいは払う気のない人に押し付けられてフリーライドされ続ける) ことに界隈の人々が耐えられるんですかという。
そのうえで、たとえば誤訳が広く共有されてしまったとして、指摘をどこかに置いておくだけなら通常の翻訳コストくらいで済むけど、それを元の誤訳と同程度に広く共有するコストなんて誰が払えるんですかと。しかも初出の誤訳の方が基本的には広まりやすいのに。
本質的には「すべての外国語文献に日本語訳があればいいのに」と言ってるようなもんですよね。
直接読める人はわざわざ訳を残しても自分へのメリットが薄く、そのうえ訳を誤読する人がいたら (訳自体に問題がなく読者が全面的に悪くとも) 責を負いかねない立場に身を置くことになる。
そして直接読めない人はそもそも翻訳できない。