標準が使い物にならないのであれば、標準をどうにかすべきなのであって、まあそれは理想主義と言われるかもしれませんが、私はウンコ食いたくないので料理ができるまで我慢します。あるいは私にできることがあるなら協力したいとも思いますが。
https://mstdn.nere9.help/@orange_in_space/101637197235703387
これについては私は「Mastodon と互換性がある」ように作ろうというモチベーション自体が既によろしくないでしょうという意見で一貫しているので、それだけの話ですね……
結局のところ ActivityPub はプロトコルの規格なのであって、たとえばマイクロブログ以外の自然な用法がありうる (たとえばブログ記事や動画サイトの動画へのコメントなどを投稿として表現しうる) 以上は、 UI で使われるべき用語はプロトコルの規格で規定すべきでないという立場です、私は。
たとえば「業界団体」的なものが発足したり、メジャーな実装の実装者たちがどこかで議論をして、ひとまずこういう言葉を使いましょうと合意を取るというのが理想的なプロセスであって、だからこそ “デファクト” スタンダードとなりうるわけで。
UI や UX について規格が事細かに規定すべきでないという考えのもとでは、 user-facing な事項の用語ができるだけデジュレスタンダードであるべきだとは思いません
合意というのは人々によって行われるべき事項であって、いち実装が責任を持てというのはおかしいかもしれないが、かといって規格がそれを明示すべきかというと、それは明らかにユースケースを制限することになりうるので危険そう
たとえば ActivityPub におけるイベントの単位は "Object" だし、投稿は "Note" 型のデータだったりするわけだけど、これをクライアントの UI において露呈しない、他の用語を用意するというのは十分に合理的に行われうるかと思います。
まあ "toot" が合理的かはまた全く別の話なんですが。
https://mstdn.nere9.help/@orange_in_space/101637061533052071
「○○を△△と呼ぶべき」という規定が明文化されて発行されたならばそれは規格だけど、そうでない UX 上の事項は単なる人々の合意、デファクトスタンダードに過ぎないわけであって、これは倫理観と合理的判断により当然多様性が発生しうるという考えです
これはクライアントアプリケーションが責任を負うべきものであって、そんで現状の Mastodon や Preloma 等は単にサーバとクライアントが一体で提供されているから境界が曖昧になっているだけですよね
https://mstdn.nere9.help/@orange_in_space/101637023117701712
そもそも UX への責任は AP サーバが持つべきものではないと考えているので、ちょっとこれはよくわからないです