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オレンジの場合は(ややこしい文章)、むしろ(?)プログラミングしはじめた時(BASICでゲーム作って遊んでた時)にそのあたりがくっきりした><

orange さんがブースト

いつだったか、データベースの授業で「"種別" 列の値が 'りんご' のレコードと 'みかん' のレコードを取り出しなさい」ってやったら、「 "種別" = 'りんご' AND "種別" = 'みかん' 」って書いちゃう学生が一定数いたし

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orange さんがブースト

ネットワークの話とは違うけど、「かつ」「または」って苦手な人多いのよね

orange さんがブースト

名前のついていない概念について考えつづけるというのは簡単ではなく、おそらく訓練の必要なことなので。

orange さんがブースト

もっと雑に言うと「端的に分けてみせる」のが良かろうと。その効果を大きくするには、喩えや例示を持ってきた迂遠な表現よりもダイレクトについている名前の方が良い。

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orange さんがブースト

そうそう、そうです。
それで「語彙の問題で統合されてしまっている」の場合であればきっかけの投稿のように表現を練ることでどうにかなるんだけど、後者の場合だったらそもそも分け方をわかってなさそうなので、まずは「別の名前をつけられる」ということを具体的に示さないといけなくて、それって結局語彙を豊かにしましょうという話なのではと。

分けた単語で表現できるのであれば、思考の上でも分けて考えているのだろうと推測できるけど、
統合した単語でのみ表現している場合は、単に『語彙の問題で表現が統合されちゃってる』のか、『思考の時点ですでに統合されちゃってる(分類出来てない)』のか、どっちなのかわかんないよね
みたいな感じ?><

orange さんがブースト

そして「それ違うものを同じ名前で呼んでいるよね」と指摘されたとて、それを受け入れて切り分けようとするような抽象的思考を持てる人だけではない、という話でもある。切り分けることを良いことと思えない人に切り分けるモチベーションは発生しない。

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orange さんがブースト

すべてを「ずるい」だと思っている人が、その「ずるい」をそもそも区別しようとするかというと、よほどの切っ掛けでもないと自発的に切り分けようとはしないだろう (巷で暴れる人々を見ているとそう思うことがある)、という感じ

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orange さんがブースト

「できる」というのは記号表現として可能という意味では当然そうなんだけど、「思考者がそれらを区分して扱おうとすることができるか」という人間の行動能力については「できない」ことが十分ありうる、みたいな話です

orange さんがブースト

これマジでどっちの立場で喋ってるのかわかりづらくなってるな。

「語彙がないというのは場合によっては原因ではなく『思考の深さが不十分である』ことに起因する結果である可能性があるし、逆に語彙がないことが思考の深さが不十分であることの原因である可能性もある。まず根本的な原因になっている方を先に解決しようとするべきで、語彙だけに着目したり語彙以外の部分を無条件に優先しようとするのは効果的と思えない」というのがまとめ。

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元の英単語とカタカナ語(外来語)でちょっと意味が違っちゃってる言葉でさえも、単語で分けるのが困難でも「カタカナ語のほうのhoge」と「元の英単語のほうのhoge」とは書けるじゃん?><
「おもしろい」に関しても、語彙力が微妙でも「hogehogeしてる時みたいな感じのおもしろさ」とか「fugafugaしてる時みたいなおもしろさ」みたいには表現できるかも><

ある程度それはそうというか、"最低限の語彙"が必要はそれはそうだけど、「単語ではわけて表現できないけど、文章ではわけて説明できる」みたいな物事って多々あると思うので、それこそ"最低限の語彙"があれば区別できるんでは感><

orange さんがブースト

概念が区別できて別の名前を付けられることに気付けるというのは、既に相応の言語化の能力があるからだろうし、そうであれば語彙なんて都度辞書を引いていればそのうち勝手に補充されていくから大して心配する必要はないと思える。
そうでない場合こそが問題。

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orange さんがブースト

内心で発生する感情の動きの幅や敏感さ自体はいわゆる情緒ってやつの範疇で語るものだと思うんだけど、それを後から振り返ってみたときどう自認し再確認するか、そういう部分には語彙の豊かさは結構シビアに影響しているのではないかというのが私の (根拠のない) 今のところの考え。
ゆえに「難しい言葉を知らずとも平易な言葉の組み合わせで表現できるなら表現としてそれでいい」というのは一理あると思いつつ、しかし実情として「言葉をあまりに知らないと概念をそもそも区別できない (区別できるものだと気付けない) リスクがかなり高く、従って表現も語彙とは別の理由から貧弱になる」ということはいかにもありそうだということ。

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orange さんがブースト

これずっと後で見たときふんわりしすぎて何のことだかわからなくなってそうなので補足するけど、たとえば「卑怯だ」と「妬ましい/羨ましい」を両方「ずるい」としか言えない人がそれらを内心で区別できるかとか、たとえば「因果応報で人が酷い目に遭うのは気分が良い」と「体を動かすとすっきりする」を「おもしろい」としか言えない人がそれらの楽しみを区別できるのかとか、そういう話です

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orange さんがブースト

その「備えていないと思考そのものが貧弱になってしまう最低限の語彙」がどの程度のものなのかがわからないのが (そして自分がそのラインに達しているか自分では判断が難しいのが) 問題なのだろうけど

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orange さんがブースト

そもそも該当の言葉を捻り出せないことには表現も難しいので (命名できない概念について深く考えるどころか認知することさえ難しいようなもの)、一応最低限の語彙ってやつはやっぱり必要だと思っている (とか言うと何でも程度問題になってしまうので虚無発言だが)

orange さんがブースト

話はそれるけど、よく語彙力がないことを気にしている人がいる。
ぼく的には語彙を増やすことよりもわかりやすい文章を書けるようになるほうが自分の気持ちを的確に表すことができるような気がする。

その過程でどうしても言いたいことがあるのに表現を思いつかないときは辞書を引こう。国語辞典だけじゃなくて類語辞典ってのもあるよ。今なら生成AIに「こういうこと言いたいんだけど、これを表す語彙ある?」なんて聞いてもいいかもね。

ここまでやったら君は立派な文章家だ。永遠に自らの語彙や表現力のかゆいところに手が届かない感を味わうことになるのだ。

ようこそ。

例えば道路を走ってて、「平均的な人間のドライバーが気付ける範囲の脅威にすべて気づけ」というのは、あまりにも複雑すぎて、現在の技術水準のAIさんにもたぶん不可能かも><
でも、デネットの論文の例題のシチュエーション程度のシンプルさであれば、たぶん人間の柔軟性を超えちゃうよね・・・><

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