BMW/EMW 340 (1949-1955)
戦後、BMWアイゼナハ工場はソ連に接収された後に東ドイツの国有企業Awtowelo(アフトヴェロ)として乗用車生産を再開した。再稼働後の数年間は戦前/戦中のBMW車を生産していたが、1949年に戦後初の新型車であるBMW 340の生産を開始した。基本的な構造は戦前のBMW 326そのものであるが、キドニーグリルを廃した独自の外装とセダン、ワゴン、パネルバン、救急車などのボディバリエーションが与えられた。なお、西ドイツのBMW AGは1951年まで自動車生産とBMWの商標を使用することが認められなかったため、それまでは東ドイツの企業がBMWのブランドを冠した車を生産していた。1951年には西ドイツBMWの商標権が回復したことに伴ってブランド名をEMWに変更した。
基本構造が戦前のBMW車を踏襲した影響で主要部品の多くが西側企業製であり、東ドイツ国内でコピー部品を生産する必要があった。しかし、それでも部品供給は安定しなかった。そのため、生産が数週間に渡って止まることもしばしばあった。
ワタシも便乗させてください……
ビバモビリティ・ビバ/ブラボー
どこかで聞き覚えのある名前でこの見た目であるが、三菱・ブラボーとは一切関係がない。
しかし、この韓国製の電気自動車には日本とは遠からぬ縁がある。
シャシこそビバモビリティが独自開発したヘキサ V2.0(헥사 V 2.0 플랫폼)と呼ばれる電動プラットフォームを採用しているが、そのアッパーボディは韓国唯一の軽トラとして30年の長きに渡って生産されていた韓国GM・ダマス/ラボそのものである。要するに1985年にデビューした8代目スズキ・キャリィのボディを使い続けているのである。
車体は衝突安全基準に対応するために全長を130mm延長した。そのため、軽自動車(軽車)の枠からはみ出してしまう形となり、一クラス上の小型貨物車扱いとなってしまった。しかし、BEV特有のランニングコストの安さや各種の補助金や税制優遇制度でそのデメリットは相殺できると判断したようだ。
なお、ビバモビリティは自社生産を行わないファブレス企業であり、ウズベキスタンで生産されたダマス/ラボのボディを自社製のシャシに被せていると専らの噂だ。
JH1→HT81S→NCP131→JW5→ZC33S & L235S
発作マグナキッド