説明文にちょっとツッコミを入れてみる(オタクの悪い癖)
まず、このクルマGAZ-69は1953年から製造されているので第二次大戦後のクルマ
そしてGAZ-69はそもそもロシア製なので米軍は一切関係ない(ジープをコピーしたGAZ-64と血縁なのは間違ってないけど)
一応中国がジープを参考にして設計した北京ジープ BJ212というクルマは存在するが、アメリカのジープもGAZ-69も中国でライセンス生産された記録はない(ロシアから輸入したGAZ-69は中国軍で運用されたことはある)
そして、解説文の元ネタであろう北京ジープ BJ212は重慶ではなく北京の工場で生産された
つまりこの解説文、一ミリも合ってないです(汗)
ナンバーつけたまま展示することの何が凄いの?
走らせないクルマに税金を払っているということです
展示や保管用のクルマは大抵、自動車税などを発生させないために抹消登録をしてナンバーを外します
外したナンバープレートは国に返納するので二度と同じナンバープレートは返ってきません。また、引っ越しなどで自動車の登録地域を変更した場合も同じです
つまり、こういう当時物のナンバープレートがついてる旧車はとても貴重であり、オリジナルを維持するために所有者が努力をしている証になります
旧車市場ではシングルナンバーの中古車は高値がつくこともあるんです
韓国自動車産業史(古い記憶を頼りに書いているのでところどころ間違ってるかも!)
朝鮮戦争後の1955年、駐留米軍から払い下げられたジープのシャシにドラム缶製の車体を載せた”始発”の登場によって韓国に自動車産業が芽生えた。
庶民の足としてタクシー需要が増加すると多くの自動車整備工場が始発の製造に乗り出し自動車は韓国復興の象徴となる。それに目をつけたのが在日韓国人の朴魯貞、自身のコネクションを活かして日産自動車との提携を取り付け、時の朴正煕政権の後押しもあり1963年にセナラ自動車を設立する。ブルーバードのノックダウン版である”セナラ”を生産する。日本車ベースの高品質なセナラは路上を支配していた簡易自動車の始発を駆逐するかに思われたが、翌年に経営破綻してしまう。多額の工場建設と金鍾泌による強引な賄賂の要求を拒否した朴魯貞が拷問を受けた後に日本へ帰国し失踪など不幸が重なった結果だった。
戦争復興の光であった自動車産業はこのまま潰えてしまうのか……?
つづく
モンゴル原産
時々Assetto Corsaでレース鯖を開いています。