自動車と農業機械いろいろ

フェルディナント・ポルシェ博士はヒトラーからの要請により戦前からフォルクスワーゲンと並行してフォルクストラクターという安価な大衆トラクターを開発していた。完成前に第二次世界大戦が勃発し結局国民の手に渡る様になるのは戦後のことである

自動車と農業機械いろいろ2

フォード・モーターは世界初の量産車モデルTで成功を収めたライン生産技術を当時急速に需要が拡大していたトラクターに応用できないかと考えた。その後1917年に同社からトラクター部門を独立させフォードソンというトラクターを発売し市場で77%のシェアを獲得する

自動車と農業機械いろいろ3

今でこそインスタ映えする派手なスポーツカーでお馴染みのランボルギーニだが、当初はイタリアの片田舎にあるトラクターメーカーだった。創業者のフェルチオ・ランボルギーニは無類のカーマニアで一国一城の主としてある程度の成功を収めた彼はフェラーリを所有していたが、度重なる故障に不満を抱きいざ自分の工場で分解修理を試みるとそこには自社のトラクターと同じ部品が使われていた。そこで彼は愛車に独自の改良を施したところ最新型のフェラーリ以上の速さを誇るスポーツカーに仕上がったことから彼はオリジナルのスポーツカーを製造することを決意する。かくして1964年に初の市販車である350GTが野に放たれた

自動車と農業機械いろいろ4

ヤンマーは今でこそ農業機械と小型の建設機械、発電機と海外向けにバギーを製造するあまり自動車には縁のなさそうな企業であるが、その昔自社技術のアピールと大口顧客である農家の需要を狙って軽トラック初のディーゼルエンジンを搭載したヤンマー ポニーを発売する。ディーゼルエンジンの軽自動車は後にも先にもこれだけである。ちなみに車体の開発は東急電鉄傘下の自動車メーカー、東急くろがね工業が担当した

自動車と農業機械いろいろ5

建設機械メーカーのコマツ唯一の市販車は農民車コマツと呼ばれる小型特殊登録の三人乗り小型トラックである。畑の見回りや耕耘、街乗り用途まで幅広く使える農業機械と乗用車のハーフのようなオールラウンダーを目指して開発されたが、最高速度14km/h程度しか出ない農民車は売れ行きが芳しくなくわずか2年でその生涯を終えることになる。その約30年後にコマツはF1のチーム・ロータスへのスポンサー及び部品供給を行い再び自動車を関わることになる。

自動車と農業機械いろいろファイナル

第二次世界大戦が終結して間もない頃、軍用車として開発されたジープは様々な用途に転用されていた。短期間であるがエンジン出力を取り出して後部の耕耘機に動力を伝える装置(PTO)を備えたモデルを設定していた。また、ジープの走破性を活かしてクボタのモンローマチックを始めとする後付けアタッチメントも各社から販売された

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なんかあとはF1チームが芝刈り機開発した話とかあったけど、疲れたから終わり

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