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損切りが出来ない性格なので木の剪定もとても難しい。案の定まだらになって、高校生の頃自分で髪を切って側頭部が禿げ上がった時と同じ気持ちになった。

ボウルニ杯分くらい実が取れたけど傷付いて茶色くなってるやつとかやせっぽちのやつとかが多かったです。遊びに来た鳥のごはんに残しておけば良かったなあと今気付きました。

昨日は白々しいって言葉にやたらととらわれていたけどよくよく考えるとめちゃめちゃ漠然とした言葉だなと思う。安易に耳触りのいい言葉を使わないで、ちゃんと自分の感情くらいは分析しないとね。

夢の中で飲むお酒はすごく美味しいけど、だいたいサイダーみたいな味がする。

余計なことばかり頭に思い浮かぶというのはそれだけ何かしら詰まっているということだから、まだまだ披露出来ることがあるということです。

頭がいらんことくるくる考えて遅々としてページが進まないけど、読書するのはなかなか骨が折れる精神状態というか状況であるということがわかってよかった。

今更急いだところでもう周回遅れなことには変わりないのだし、のんびりやります。

一年半前にジュンク堂で買ったスローターハウス5を手に取ったけどこれは気軽に読める小説なんだろうか。

トゥートしてたらちょっと気分が良くなってきた。やっぱり悩みを溜め込むのはだめですね。壁打ちでもいいから少しづつアウトプットすると、解決とはいかないまでも気分や感情がちょっとだけ変化して思考の風通しが良くなります。

確信というか強迫的な予感といえばいいのか、だいたいの場合他者と話すと思いがけない展開になって自分の頭の中でイメージしてたこととはかけ離れたものになるというのが常なので、この極度のシャイな性格をどうにか破れば自然と好転していくような気もする。

話したいことが無いわけではないけど、そのほとんどが自分の中であれこれ反芻しているうちに何らかの答えが出るものだし、今までそうやってきたからというのもあって、いざそれを発音しようとしてもそれはとても回りくどく白々しいものになる確信がある。

後腐れのない相手とボイスチャットしてみたら会話の練習になるんじゃないかしらと思ったけど、そんな都合の良い人間はそうそういないし、たぶんすごく失礼なことだと思う。

僕が白々しい言葉を発するのは自分の問題だからいいんだけど、登場人物が彼らの性格とはあまりに不釣り合いな白々しい言葉しか言えないのはとても可哀想で、本当にごめんねって気持ちになる。

勿論鬱postみたいな見るからに苦しそうな、言葉を慎重に選んで絞り出しているようなpostはがんばれがんばれって印象を強く感じるけれど。

僕が誰かのpostを見てる時は、人によるけどだいたいの人がそんなに思い悩むことなく言葉を発しているように感じられます。

インターネットでこういう感じにくだを巻いている書き込みも、他人から見たら僕が自然に会話をしているように見える(読める)んだろうか。

心から自然に会話を楽しんだ経験ってもう10年近く無いような気がする。自分の性格というか感性上そういう白々しさを受け入れていかなくちゃいけないんだろうけど、苦しいものは苦しいしげんなりしちゃう。

僕が普段発する会話も白々しいから、そりゃそんな人間から出てくるより精度の低い会話文なんて余計白々しい感じがするのは当然なんだけれど。

会話文を書く練習ってどうやればいいんだろうな。自分が書くとめちゃめちゃ白々しい独白に近いものを投げ合ってる感じにしかならなくて苦しい気持ちになる。

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