星を見るのが好きです。
今更急いだところでもう周回遅れなことには変わりないのだし、のんびりやります。
一年半前にジュンク堂で買ったスローターハウス5を手に取ったけどこれは気軽に読める小説なんだろうか。
トゥートしてたらちょっと気分が良くなってきた。やっぱり悩みを溜め込むのはだめですね。壁打ちでもいいから少しづつアウトプットすると、解決とはいかないまでも気分や感情がちょっとだけ変化して思考の風通しが良くなります。
確信というか強迫的な予感といえばいいのか、だいたいの場合他者と話すと思いがけない展開になって自分の頭の中でイメージしてたこととはかけ離れたものになるというのが常なので、この極度のシャイな性格をどうにか破れば自然と好転していくような気もする。
話したいことが無いわけではないけど、そのほとんどが自分の中であれこれ反芻しているうちに何らかの答えが出るものだし、今までそうやってきたからというのもあって、いざそれを発音しようとしてもそれはとても回りくどく白々しいものになる確信がある。
後腐れのない相手とボイスチャットしてみたら会話の練習になるんじゃないかしらと思ったけど、そんな都合の良い人間はそうそういないし、たぶんすごく失礼なことだと思う。
僕が白々しい言葉を発するのは自分の問題だからいいんだけど、登場人物が彼らの性格とはあまりに不釣り合いな白々しい言葉しか言えないのはとても可哀想で、本当にごめんねって気持ちになる。
勿論鬱postみたいな見るからに苦しそうな、言葉を慎重に選んで絞り出しているようなpostはがんばれがんばれって印象を強く感じるけれど。
僕が誰かのpostを見てる時は、人によるけどだいたいの人がそんなに思い悩むことなく言葉を発しているように感じられます。
インターネットでこういう感じにくだを巻いている書き込みも、他人から見たら僕が自然に会話をしているように見える(読める)んだろうか。
心から自然に会話を楽しんだ経験ってもう10年近く無いような気がする。自分の性格というか感性上そういう白々しさを受け入れていかなくちゃいけないんだろうけど、苦しいものは苦しいしげんなりしちゃう。
僕が普段発する会話も白々しいから、そりゃそんな人間から出てくるより精度の低い会話文なんて余計白々しい感じがするのは当然なんだけれど。
会話文を書く練習ってどうやればいいんだろうな。自分が書くとめちゃめちゃ白々しい独白に近いものを投げ合ってる感じにしかならなくて苦しい気持ちになる。
こういう時に積んである本を一冊カジュアルに手にとって読めばいいんだろうけど、一度読み出すと終いまで読まなきゃいけないような強迫観念にとらわれていて躊躇してしまう。
やりたいことあるのに取り掛かる意欲が出てこなくてもどかしい日々が数日続いています。
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青いビワいっぱい食べてたせいか喉の奥がゴワゴワする感じがある
koboアプリのストアが不安定で怒ってる
マリコさん、コスト軽くて持続火力を求めなければちゃんと仕事出来る、戦略パズル的にとても魅力的な政霊だと思ってるので、テクノード社はちゃんとSR、SR+マリコさんのことも気にかけてやって欲しい
思考の /dev/null