「海外で行動するときは必ず二人以上いることが望ましい。 しかも、少し離れて歩くのがいい。 お互いの位置を確認するときに、相手の周囲の状況が解る。密着して歩くのは一人で歩くよりも悪く、視界が塞がり、危険を察知しにくくなる。 三人で歩くときは二人を密着して先行させ、旅慣れた人間は後ろから無関係の人間のように着いて行く。 犯罪者から見たときに、三人グループに見えるか二人+一人に 見えるかは重要で、三人グループで密着して歩くと隙が出来やすい。 二人も隙が出来やすいから、襲撃には向いてるが、これが少し離れたところに別の人間が一人いると途端にやりにくくなる。離れた一人はいわば監視カメラの機能を果たすわけだ。これは先行する二人が振り返ったときも同じように監視カメラとしての機能が働くため、グループ全体としてはかなり広範囲を警戒できることになる。 近代戦ではツーマンセル(二人一組)またはスリーマンセル(三人一組)を行動の基準に置くが、これは一番警戒範囲が広く突然の襲撃に強いからだ。」
「310 名前:病弱名無しさん [sage] :2010/11/14(日) 20:30:25 ID:NwC+10Yc0ジャグリングとかやりながら自分の心を観察しててわかったことがある。例えばボールを落とさずに連続してこなせた時に「うまく行き過ぎてる、これはおかしい」という思考が生まれる。ほとんど無意識レベルだけど。そしてその思考が失敗へと導こうとしてくる。無意識が「欠点も含めた自分」を守りたがるんだな。全く厄介なアイデンティティ。だけど逆に言えばこれを解決できればあらゆる能力の上昇がスムーズになるはず。このリミッターを解除する良い方法ないかな?
325 名前:病弱名無しさん [sage] :2010/11/19(金) 02:33:34 ID:ZLeXv+Ta0成功回避欲求とか敗者の脚本ってやつかね。耐えられる不幸の量に限度があるように、耐えられる幸福の量にも限度がありそれを超えそうになると抑制がかかる。トップアスリートでも大事な試合で無意識に負けようとする人がいるそうだ。昔読んだサイコタフネスって本に書いてあった。」
「「感染症史的にはヤバいはずのハグや頬へのキスといった接触型挨拶による触れ合いを人類は捨てられてなかった」という言説にもし一理あるとして、ハグやキスはおろか握手すら控えめにして非接触のお辞儀にまで挨拶を後退させた日本人はよほど感染症に痛い目に遭わされ恐れてきたということなのだろうか」https://x.com/makotopic/status/1260968211928870912
「千羽鶴を「震災時に送られて迷惑なモノの代表格にされて怒ってる連中」をよくよく追跡してみると、本当に中高校生が多い。
どうもこれ、前の東北の震災の時に「学校の道徳の時間に何時間もかけて何百羽も鶴折らされた小学生」らしいな。
自分の過去の努力が全否定されたらさすがに怒るか。少し同情」https://x.com/ABC1970/status/725109439100014592
「Cloudflareに有罪判決という記事に、日本は出遅れている、おかしいという意見が多いですが、私はこの判決は極めて妥当だと思います。
当時Cloudflareが停止も開示も一切応じず、コンテンツホルダー側が「仕方ないのでDNSブロッキングで通信を止めよう」という話になりました。その時私は有識者として、必死にインターネットの自由を守る活動をした身なので、あの時のCloudflareの無責任さには辟易としています。
包丁を売っただけで犯罪者なの?という意見も散見されますが、人を刺し続けてまだま明らかに人を刺すつもりの犯罪者に、包丁を売り続けたというのが正確な表現です。
Winnyとの対比をする人もいますが、金子さんはソフトウェアを作っただけなのに対して、Cloudflareは著作権違反を知りながら、何度も権利者から申告を受けたにもかかわらず、発信を続けたことで、相当悪どいです。
この事件は、漫画村に広告を出していた広告業社が大儲けして、犯罪者にお金を還流させ、そのお金がCloudflareに払われ、3社とも著作権違反でボロ儲けする構図でした。」
「思うに、現在の「ウヨ」と「サヨ」を分けているのは、「マルキシズム」や「リベラリズム」ではない。「国家」や「皇室」や「愛国心」ですらない。たぶん、「偽善」というキーワードだ。 どういうことなのかと言うと、反抗の思想として出発した左翼思想が、主流派のスローガンになり、日教組の行動指針となり、洗練、漂白、消毒されたあげくにたどり着いたのが、「偽善」だったということだ。 いや、左翼思想そのものが偽善だと言っているのではない。 ただ、左翼思想がもたらした(あるいは勝ち取った)運動の成果が、「人権を守ろう」「平和のために祈りましょう」「戦争って哀しいね」「いのちを大切に」「つちとみどりと太陽」みたいなスローガンとして結実した時、それを上から(教師やマスコミから)聞かされる立場にある子供たちの耳には、「ろうかを走ってはいけないよ」「せすじをのばしてよいしせい」「月曜日はツメ検査」「右左見てまた右見て渡る」みたいなうすらみっともない標語と区別がつかないわけで、結局、偽善にしか聞こえないということだ。」
マストドン好き