「思うに、現在の「ウヨ」と「サヨ」を分けているのは、「マルキシズム」や「リベラリズム」ではない。「国家」や「皇室」や「愛国心」ですらない。たぶん、「偽善」というキーワードだ。 どういうことなのかと言うと、反抗の思想として出発した左翼思想が、主流派のスローガンになり、日教組の行動指針となり、洗練、漂白、消毒されたあげくにたどり着いたのが、「偽善」だったということだ。 いや、左翼思想そのものが偽善だと言っているのではない。 ただ、左翼思想がもたらした(あるいは勝ち取った)運動の成果が、「人権を守ろう」「平和のために祈りましょう」「戦争って哀しいね」「いのちを大切に」「つちとみどりと太陽」みたいなスローガンとして結実した時、それを上から(教師やマスコミから)聞かされる立場にある子供たちの耳には、「ろうかを走ってはいけないよ」「せすじをのばしてよいしせい」「月曜日はツメ検査」「右左見てまた右見て渡る」みたいなうすらみっともない標語と区別がつかないわけで、結局、偽善にしか聞こえないということだ。」