どこ引用するか迷ったけど、本質的な部分はここかもと><(引用長文)
D.A.ノーマン『誰のためのデザイン?』増補・改訂版 (第2章) P.87
"テクノロジー嫌いの人や数学嫌いの人はずいぶんいるが、ある種の学習された無力感の結果そうなったのだろうか?
それ自体では何ということもないと思われる場面で何回か失敗する事が、テクノロジーを使うこと全般や数学の問題すべてに一般化してしまうのだろうか? おそらくそうなのだろう。
実際毎日使うモノ(そして、数学の授業)のデザインは、確実にそのような無力感を生み出すのように作られているかのように見える。
この現象を教えられた無力感と呼んでもよいのではないだろうか?"
(すごく略><)"問題が起これば起こるほど、もっと無力感を感じる事になり、自分はテクノロジーや機械に向いて無いのだろうと考えてしまう。
これは環境側を責めるという、通常の状態とは逆である。
この誤った非難がとくに皮肉なのは、ここでの犯人はたいていテクノロジーのデザインの悪さであり、
環境(テクノロジー)を非難するのはまったく適切だからである。"
"かつてジェフ・ラスキンは、われわれがソフトウェアの利用に関して「直感的」だと言う場合、実は「慣用的」だということを言わんとしているのだと指摘した。コンピュータ用のマウスは、それを一度も見たことがない人にとっては直感的ではない(唸り声をあげるクマなら、初めて見た場合でも「直感的」に理解可能かもしれないが)。人間の脳の中には、それが何なのかを説明できるような生得的または本能的な情報はない。しかし、たった10秒でも実際にマウスを使ってみれば、それは見覚えのある装置となり、二度と忘れることはなくなる。下線付きの青いテキスト、再生/一時停止ボタン、その他もろもろについても同様である。"
Jenifer Tidwell著『デザイニング・インターフェース - パターによる実践的インタラクションデザイン』(オライリー・ジャパン)