TBSかなんかのニュースのアジア大会?のテーマ曲がBon Joviのlivin on a prayerなんだけど、なぜかトークボックスを使ってる部分(「うわうわううぉうぉあ」みたいな祈りの声みたいな部分)が全部?カットされててムカつく><;

「どっちかというと」をつけるべきだった・・・><

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それは他我問題(other minds problem)かも><

orange さんがブースト
rn> 他人の頭痛を理解することがワンチャン原理的に無理かもしれない的な

ていうか、哲学である単語に対して"一般的な理解と違うものを指している"場合には、必ず定義も書いてあるか、何らかのそれを指し示す説明がセットになっているはずなので、読み飛ばしてなければ「違うかもしれない!」って気にしないでいいはず><
ちゃんと定義せず説明もせず違う意味で使ってたらその哲学者がポンコツなだけだから、その哲学者をdisっていいし、だいたいそういうやつはフォロー論文でサンドバッグになってる><

orange さんがブースト

あとこれはまた別の話で、多分初めてクリスピークリームのオリジナルグレーズドというやつを食べたんですが、思ってた数倍口当たり軽くてびっくりした

それはそれでなんか変な気がする><
「哲学の方がより厳格に言葉を使おうとしている」くらいかも感><

orange さんがブースト

これはまた別の話で、そういえば、哲学の文脈で出てくる言葉は一般的な理解と違うものを指していることが多いから、自分の知っている言葉だと同じだろうという先入観を捨てて読め、みたいな話を思い出した(ってさっき書こうとしたやつなので、なにをきっかけに思い出したのかは忘れた)

orange さんがブースト

これは別にいまわたしが掘り下げたいというわけでもないつぶやきだけど、一般的な言葉の用法には人々はどれぐらい従う必要があるのか、ひいては語用を学ぶ必要があるのか、というのをふと思った

このへん><
私的言語論 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8

(たぶんwikipedia読むよりもGemini辺りに「ウィトゲンシュタインの私的言語論ってなに?」って聞くほうがいいかも><)

たぶんウィトゲンシュタインがどうのとかその辺り><(曖昧過ぎる知識)

orange さんがブースト

ちょうど形と書いてしまったが、なんか単語そのものが多様な形をしている捉え方にいま踏み入れてた気がするが、形はともかく文脈によって解釈が異なる捉え方の方が自然か

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たぶんそのあたりってマジで哲学の出番かも感><

一般的に合意がある部分について、その部分を知って受け入れる事は、ある意味普通のことかも?><

orange さんがブースト

一般的な言葉Aがどういう形であるかを論じるならという話であって、いまこのコミュニケーションで用いられるAをどういう意味で使うのかははっきりさせなさいはそれはそう

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辞書の記述だってすべての辞書で共通であるわけではないわけで、その言葉の定義の中に『ある程度の合意がある部分』と『それほど合意がない部分』があるというそのままのことかも><

orange さんがブースト

確率分布のくだりは、言葉の意味は得てして一つの正解があるかのように言われるし、辞書も今のところそう見えるフォーマットで書かれていることが多いけど、という話

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で、例えば『理解』でも「AIは理解しているか?」って問題あるじゃん?><
その場合「理解している」でも「理解していない」でもいずれにせよ、どういう意味で『理解』という言葉を使っているかを明確にしないと空虚な水掛け論になっちゃう><

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