エアバス云々、ごく初歩的な内容であればこの本がおすすめ>< レビューにもあるけどエアバス誉めすぎな本><;
エアバスの真実: ボーイングを超えたハイテク操縦 (講談社+アルファ文庫 G 8-7) | 加藤 寛一郎 |本 | 通販 | Amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4062566346/
書いた人><
加藤寛一郎 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E5%AF%9B%E4%B8%80%E9%83%8E
無為な行動のやりとりがシンプルに手慰みとして束の間の安らぎになる可能性は確かにあってそれは紛うことなき価値なのだが、それは世界とどう向き合って世の中をいかに変えていくかという「有意義に素晴らしく生きる」こととは全く別の話なんですよ。モードが違う。
私はある種の娯楽あるいは暇潰しとして、言う必要のない (なんなら言わない方が人生がより良くなる) ことを言っているし、その不条理を自分という人間の不合理性として受け止めているし、そして世の中の大半の人々はそうあるのだと思っているので、私が警告したくらいで何かが変わったりはしませんよ……
教育指導の場において理想として設定された状態に確実に到達した超優等生は、たしかにそのまま走り続けられるのかもしれませんね。で、自分がその超優等生かどうかは誰がどうやって判断するんです?
事実として「自分で考える」ことが宗教や陰謀論への信仰を加速させることもあるわけで、実践の場において教育者はその責任をとってくれないし監督もしてくれない。どこかで「自分は不完全だ」という自覚をもって不信による警戒とブレーキを用意しないといけない。
https://mastodon.cardina1.red/@lo48576/112711021467500503
直接は関係ないがこういう話もある。
TL に流入してくる乱雑で無秩序な人間の集合の中で悪い部分を抽出して合体するととんでもない矛盾の塊みたいな人が見えるかもしれないが、少なくとも私の身近で見たことがないし、そんな任意の要素を抽出するようなことをされても知らんがなとしか (意義がないとは言わないが)
「なんでもかんでも万能に専門的知識を」が、理想論すぎるのはそれはそうだけど、さっき引っ張ってきた学習指導要領に関する論文にも書かれてるけど、主に社会科教育で
"個人と社会とのかかわりを中心に理解を深め ,現代社会についての見方や考え方の基礎を養うとともに,社会の諸問題に着目させ,自ら考えようとする態度 を育てる。"
とか
"現代の社会的事象に対する関心を高め,様々な資料を適切に収集,選択して多面的・多角的に考察し,事実を正確にとらえ,公正に判断する とともに適切に表現する能力と態度 を育てる。"
とはなってるわけで、専門家に任せて口をつぐむって方向は、少なくとも日本の現在の教育政策とは逆方向かも感><