矛盾や不都合を避けることを極めて根本的な原則として意識していない人にとって、「その行動で不都合や矛盾が発生するけどどうするの?」という質問は「どうもこうも、やろうと思ったからやるだけだが」というリアクションしか引き出さないわけです
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十分な情報量があれば (現実的には不可能だが) 物理的には社会の行く末を “予測” することはできる、というのはそういう文脈での話です。
ただ、その物理的な “予測” を越えて、どういう “目標” を設定すべきなのか、という部分については、問題を考える個人の価値観の影響を排することはできない
で、そういう個々人の “内面” を我々は行動の履歴からそれらしく推測することしかできないから、人間を人間として神聖化して扱う限り、真の意味で “社会” 全体にとって満足な目標を設定することはできない
社会が食糧自給率を上げようとするときその目標設定にはもっと別の価値判断が絡むし (たとえば兵力が不足しているという判断や、たとえば近隣から奪えるほど近隣の地理的な状況が良くないとか、たとえば国際的な立ち位置をどうにかしたいとか)、その “別の価値判断” についてももっと別の理由があるものだし、そういう絡まった連鎖を見ないといけない
人間とかいう肉の塊が相互作用して物理状態に変化が発生している世界を見て、その上に「人々の生や幸福を追求することを要件としたシステム『社会』が稼動している」という解釈を発生させるのは、他ならぬ主人公である自分で、他の人が同様の解釈を『人間とかいう肉の塊が相互作用して物理状態に変化が発生している世界』に対して与えているとは限らないじゃん、という話です