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前も書いた気がするけどマクドのドライブスルーがパイプライン1本に注文窓口だけ2つのハイパースレッディング的配置になっててスケジューリングがどうなってるのかよくわらない

CNN.co.jp : 寝室の照明、「薄明りでも睡眠に悪影響」と米研究チーム cnn.co.jp/fringe/35184964.html

オレンジは暗いと眠れない><;

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それね,なんどもやってるけど元から成績取れるやつが点数のばす結果にしかならないんで.

もっというと実質的に合格ラインを下げることになるのでちょっとまずいのもある.

ふと思ったけど、100点を満点じゃなくて合格点にしたテストにして、わかってなきゃまずい問題を100点分、その他にチャレンジングな問題を余分に出して100点越え出来るテストってあったらおもしろそう><(中二病的発想)

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100点満点は,1,2,4,5,10,20,25,50,100でしか割りきれませんが,120点満点なら,1,2,3,4,5,6,8,10,12,15,20,24,30,40,60,120で割りきれる.

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約数が多いほうがいろいろ扱いやすいんですよ.12は最初の過剰数ですし.

で、それって(静的)型システムとか、間違えて繋ぐと爆発したり人が死んだりするコネクタを物理的に接続不可能にして教育に失敗してても間違えて繋ぐ事が無いようにした医療向けコネクタとかも、同じ発想かも><

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教育コストが必要な場面って、単に教育が必要な場面であるだけではなく教育がうまくいかなければ、そして教育された内容を正しく実行できなければ人間がエラーを起こす場面でもあるわけで、
人間がエラーを起こしたら誰かが死んじゃったり発電所が吹き飛んだりミサイルが勝手に飛んでっちゃうような分野では、ヒューマンエラーから事故に結び付くような仕組みはなるべく避けたいわけで、人間が失敗しにくい方式が採用されるかも><

これは、Pascalよりも失敗できない用途向けの環境であるAdaが、配列に限らずあらゆる数値表現に対して静的型検査をして現実での安全性を確保するってしてることも考えると、つまり、ヒューマンエラーをなるべく減らすために実際の数値を型で表現させて型検査させる為に実際の数値で扱わせる みたいな発想なのかもって思うかも><

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大抵の場合は「教育コストかけたくない」、次点で「既存リソースの翻訳をしたくない」あたりがありがちな理由なのかな。知らんけど。

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我々はバナナを扱っているのではなくバナナを表現するデータを扱っているし、そういう「翻訳」は情報システムのあらゆる場面に暗黙に存在しているのだから、敢えて特定の場所でだけその「翻訳」を許さないという決断をするなら、相応の理由がほしい

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もっと適切に言うなら、「データのモデルを構築する専用の訓練をさせたくない人の利用を想定しているなら」とかになるかもしれない (チクチク言葉か?)

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たとえば事務員が扱う言語であればこそ、自然言語に近い文法を使うことが正当化されるということです

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べつに「人間の †直観† に近い方が良い」という派閥の有用性もわかるにはわかるんだけど、それはあくまで人間が汚いけどしょうがないよねという妥協の上での最善を求めるものであって、つまり「人間世界の汚さを輸入する」ことに合理性のある文脈でしか受け入れたくない設計だということですね

なので、Cは合理的な0スタートで、Pascal一族は人間側の都合とのある種のグルーコード的(?)な部分も静的型システムで表現する方式なので「ひとりめ」みたいに表現する時は1ベースにする文化になってるのかも><
(0番目からとかマイナス42番目からはじまる時にも、その通り表現できる><)

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言ってみれば「プログラミング言語だからといって無理に自然言語っぽい文法にする道理はない」に近いですかね

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それは自然言語が腐ったモデルの上に作られてしまったからであって、自然言語から離れた「作り直せる」世界でそのようにする必然性がない

でも、山田さんと田中さんと鈴木さんの順に順番待ちしてて、山田さんを呼ぶ時に「ひとりめのかたどうぞ!」と言う事はあっても「ぜろりめのかたどうぞ!」とは呼ばないかも感><(?)

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