テロに屈せず闘いましょうと人々を奮わせると良いことだと思われるし、とこぞの民族の暴挙に屈せず闘いましょうと煽る人々は差別主義者ということになったりする、結局そういうもので、怒りと煽動という文法自体に色はない。後ろの主張が透けて文法に色がついているように見えるだけ
圧政的に扇動全体を民から取り上げるとどうなるかの面で言うと、この前リーナスがSNSに対して苦言をってニュースのときにも引用したけど><
https://mstdn.nere9.help/users/orange_in_space/statuses/101868402163628565
> 反論を短くするために、テレ朝のドラマ「相棒」の主人公のセリフから引用><
> "沸騰した鍋に蓋をすれば吹き零れるかもしれません"
で、感情の発露としての面が強い「怒り」と、理性によってある意味抽象化された現状否定表明は、やはりどこか違う気がするし、それらを明確に区別する何らかの観点を持ち出すことができたなら、社会や自治や民主主義の枠組みの意義を否定せずに、前者の意味での怒りの表明を恥ずべきことと位置付けることもできるかもしれない
たとえば某国の人々は圧政や腐敗で飢えています、可哀想ですねという話があったとして、日本のおそらく大半の人はその苦しみに実感を伴って共感できないし、そこまでの怒りも (少なくとも身近のクソ野郎に対してほどは) 抱かないわけだけど、理性として「これは良くないよね」とそれなりの確信をもって断言できる