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それでいう、評価されたい話の範囲である作品が、その場合で言う実力と称されるものでしょ?><「過去に何とか賞を取った人が書いたんだから偉大な作品名はずだ」みたいなのを実力っていう人あんまりいないと思うけど><
「この話単体だとクッソつまらないが、後に続く話まで読むと最高に最高」という例を思い付いてしまった、この場合単体でつまらない話はつまらないと言えるか
評価する時間的範囲ね><
一般的に、実力って言葉って、時間軸上限られた範囲を示す言葉として使われることが多いでしょ?><ってオレンジは言ってる><
結局都合のいいように「実力」というラベルを「おれのかんがえたさいきょうの測定方法」に貼り付けてるだけとしか思えない
「今回の試合は散々だったけど、でもこの前の試合ではスコアが良かったので『この試合もすばらしいと』評価してほしい」みたいな意味不明な事になってしまう><
一般的に、スポーツ選手とかが「実力で評価してほしい」って言ってる場面、多くの場合、時間軸上切り取られた範囲(=つまり競技であれば競技時間内)で評価してほしいって文脈で使ってるように感じるけど・・・><
元の人の話の文脈では、「実力」と「肩書き」で分けてるんだから少なくとも肩書き以外のものであろうし、肩書きとは過去の評価なんだから、時間軸的に「過去の評価を流用(? 援用)するのは実力か?」みたいな話になるかも><
であれば、”自分は実力で勝負してるしあくまで実力を見て欲しいとか言”うなよって事でしょ>< ;
もちろんその通りで、それを踏まえて「実力」というのは果たして客観的指標として定義しうるかといえば、おそらくそうではないということがわかるので、であれば相手にとっての主観的「実力」を(肩書きの説得力などによる相手の価値観の調整なしに)個々のケースで定めることにどこまで意味がある?
「専門家じゃなければ評価が出来ないではないか?」という問題を、とりあえず仮に常に真であるという事にしても、専門家でも「ブランドが無くても、優れていると評価されるか?」って問題は別問題として残る><
ピカソの例え( https://mastodon.cardina1.red/@lo48576/100346228321230589 )で言うならば、「それ、ピカソって名前は言って無くても売れるような絵?><」みたいな時間軸的独立の問題は、例えばそれが専門家が対象(評価者の独立の問題を無視しても)でも起こるかも><
評価者の独立の問題もあるし、対象物の時間軸的独立の問題もあるかも>< さっきのAppleの例えで言えば、それリンゴマークつけなくても売れるか?><みたいなのは主に後者かも><
まあこれは抽象化が過ぎるかもしれませんが、結局のところほとんどあらゆる価値観は相対的かつ主観的であるわけで、だからこそ「私のなかではこうなのだ」「あなたのなかでは違うかもしれないが、それはそれ」という自他の分離と相対化が大事なのではと思うわけです
x実力を言う言葉o実力という言葉
実力を言う言葉をあえて使ってるという事は、当たり前だけど「実力」と「それ以外」が話の想定上あるということかも>< それをわける文脈上の基準って何だろう?><
ていうか、らりおさんの解釈で進めると、なんでも「これも実力だ!」って言えちゃうので実力というものにポジティブな影響を与えられる全てのものを含めることが出来ちゃって、おしすすめると実力という言葉に全く意味がなくなっちゃうかも><
ああ、件の人に実力云々を言った人が言うところの「実力」は確かに過去の成果を引き継がないという意味なんでしょうね(文脈)
そりゃそうだけどそれは内容で勝負してるんじゃなくタイトルというか肩書きの勝負でしょ><極端に言えば馬鹿みたいな内容でも数字が大きい方が馬鹿によく売れるでしょ?><
もうちょっとマシな例を思い付いた、「IQ80の人が書いた『頭がよくなる方法』」と「IQ130の人が書いた『頭がよくなる方法』」、たとえ全く同じことが書いてあっても説得力は(受け手の価値観で調整されて)大きく違うだろうし、説得力を評価軸とするなら書いた人の IQ は明らかに作品の評価に影響を与えてますよね
思考の /dev/null