端的に言えば、中央集権的サービスは、プラットフォームの求心力としてユーザそのものを使いがち(なぜならコンテンツは観賞すれば終わりだが、ユーザは未来における継続的コンテンツ発信源であるから )であり、それゆえ「有名人」を意図して作り出し、フォローの集中を促進するつくりになっている
その「権威」とは社会的な信用、たとえば特定の国家機関であるとか実績ある民間の機関とか、(何を以て信頼するかは人次第だけど)そういった基準で行われるべきで、 SNS 上だけでその信頼の根拠を担保するには根本的に無理がありそう
グローバル有名とローカル有名については、「関心のあるユーザをフォローしたらローカル有名人だった」という順序は十分にありえるしおかしなことは何もないけど、「とりあえず有名っぽいしフォローしとこ」というおかしな順番でフォローされがちなユーザは得てして、自分自身をコンテンツ化したグローバル有名人が多い、という感想
結局これは、別ユーザへの評価基準が「自分の関心とのマッチ度合い」でなく「知名度」に基づいてしまう、それを許してしまうメディアの性質(墓場氏の言う「逆進性」)に原因があるのでは、という話だと理解している
よーするに「フォロー対象 A はフォロワー10人だけどフォロー対象 B はフォロワー1万人だし」という理由で、 A の発する情報が軽視/無視されがちになり、 A の発する情報は逆にくだらない発言でも拡散しまくる、というような状態が望ましくない?